YA★バトン(会員インタビュー)

ここでは、YA世代やこれから作家や翻訳家を目指す人に向けた、
「日本YA作家クラブ」会員への質問を掲載していきます。

会員名簿の逆五十音順に、毎月二名ずつ更新します。おたのしみに。

     

質問☆彡 五項目。
 ・どんな中学〜高校時代を過ごしていましたか?
 ・作家・翻訳家になりたいと思ったのは、いつ頃、どうしてですか?
 ・最初の本(作品)を出版したきっかけはなんですか?
 ・一週間だけ中学〜高校時代の自分と入れ替われたら、何をしますか?
 ・現役のYAな人達へ、熱いメッセージをどうぞ。

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↓更新状況↓

藤野恵美さんのインタビューを本人の希望で差し替えました。2012年7月更新

如月かずささん  藤野恵美さん 2011年10月更新
木村航さん 2011年9月更新
石川宏千花さん 大崎梢さん 2011年8月更新
香谷美季さん 片川優子さん  2011年7月更新
風野潮さん 金原瑞人さん  2011年6月更新
河合二湖さん  2011年5月更新
朽木祥さん 香坂直さん  2011年4月更新
香月日輪さん 越水利江子さん  2011年3月更新
笹生陽子さん 後藤みわこさん  2011年2月更新
三辺律子さん 篠原まりさん  2011年1月更新
新城カズマさん しんやひろゆきさん  2010年12月更新
代田亜香子さん たからしげるさん  2010年11月更新
中村浩美さん 梨屋アリエさん  2010年10月更新
西田登さん 那須田淳さん  2010年9月更新
野沢佳織さん 野村美月さん  2010年8月更新
花形みつるさん 原田勝さん  2010年7月更新
松山美保さん 誉田哲也さん  2010年6月更新
横山充男さん 宮下恵茉さん  2010年5月更新
令丈ヒロ子さん 寮美千子さん  2010年4月更新

     

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如月かずささん☆彡

・どんな中学〜高校時代を過ごしていましたか?

小学校時代、先生に反抗してばかりで非常に損をしたため、 中学入学を機に優等生キャラにクラスチェンジしたところ、 先生がたからの信頼は厚くなって善行生徒の表彰をもらったりもしましたが、 思い返してみると一部友人を除く同級生からは妙に距離を取られていた記憶があります。
あとは中学時代、同級生が読んでいたクリスティの短編集がきっかけで乱読を始めて、 それからはひたすら小説を読んですごしておりました。

・作家・翻訳家になりたいと思ったのは、いつ頃、どうしてですか?

小学校の卒業文集にはすでに、夢は作家と書いていたような気がします。
『ムーミン童話全集』をいたく気に入って、 自分もこんな話が書きたいと思ったのが最初のきっかけではないかと。
ほかにきっかけといえば、中3のとき選択授業で国語をとっていたのですが、 部活動でもないのに年3回も作品集を発行するという、 先生も生徒もみんな素晴らしくやる気にあふれていた楽しい授業で、 そこで自分の作品が活字になり本になる喜びを知ったことも大きかったように思います。

・最初の本(作品)を出版したきっかけはなんですか?

最初に講談社さんの児童文学新人賞で佳作をいただいて、 直後に岩崎書店さんのジュニア冒険小説大賞をいただいたのですが、 諸事情で順番が前後して先に岩崎書店さんの作品を出版していただくことになりました。
修士論文と並行してゲラの修正などしていたので、 その年の年末はなかなか修羅場だった記憶があります。

・一週間だけ中学〜高校時代の自分と入れ替われたら、何をしますか?

なによりもまず祖父に早めに病院で検査を受けるよう忠告をしてから、 そうですねえ、文芸部の部室に入り浸って、 部の仲間たちとだらだら駄弁ってすごしましょうか。
あのころはそういう時間の楽しさにまだ気づいていませんでしたから。

・現役のYAな人達へ、熱いメッセージをどうぞ。

ありがちですが、いろいろなことに積極的に手を出してみるとよいかと思います。
自分は中学高校時代、ほとんど勉強と読書とゲームしか していない印象があって、それを非常に後悔しておりますもので。
とにかくなんでも時間の無駄とか無理とか面倒とか言わずにチャレンジしてみたら、 たとえそのときはつらかったり苦しかったりしても、 あとあとになって人生の糧になったり原稿のネタになったりするのではないでしょうか。


藤野恵美さん☆彡

・どんな中学〜高校時代を過ごしていましたか?

入退院を繰り返していました。 家でも学校でも病室でも、いつも本を読んでいました。 体育や学校行事などにも参加できず、常に傍観者の立場でした。

・作家・翻訳家になりたいと思ったのは、いつ頃、どうしてですか?

物心ついたときからなんとなく思っていました。 適性があると判断したのでしょう。

・最初の本(作品)を出版したきっかけはなんですか?

もともとSFが好きで、福島正実さんの名前にひかれて福島正実記念SF童話賞に短編を応募したところ佳作に入賞しました。
その授賞式で出会った子供のための本作りをされているひとたちの情熱に感化され、自分も児童文学というものを書いてみようと思ったのです。
そして、SF童話賞とおなじく岩崎書店がやっているジュニア冒険小説大賞に『ねこまた妖怪伝』という作品を応募しました。
その作品が、大賞を受賞したのが、出版のきっかけです。

ちなみに、福島正実記念SF童話賞に応募した短編も、本になりました。
『魔法がいっぱい! ふしぎに出会った4人の子どもの物語』というアンソロジーに収録されています。

・一週間だけ中学〜高校時代の自分と入れ替われたら、何をしますか?

ダンナの郷里まで旅をして、若かりし頃の彼のすがたをこっそりと見てみたいです。

入れ替わる……ってことは、いまの自分と替わって、昔の自分がこっちの世界に現れて、仕事をしたりするのでしょうか……。
それは、一週間後に、元に戻ったときがこわいような……。

・現役のYAな人達へ、熱いメッセージをどうぞ。

物語のなかの人生も本物ですよ!


木村航さん☆彡

・どんな中学〜高校時代を過ごしていましたか?

 持病と怪我とのダブルパンチでほとんどベッドにおりました。れいのノストラ ダムスのおっさんを心の拠り所に、どーせくたばるんだしまじめにやることなん かねーやァとばかりにへらへらとその日暮らし。あの頃もーちょっとマジメにも のを考えてたら、ちったァましな身分になれたかもなァと思いますが、後の祭り ですわな。
 病院図書館の本はたちまち読み尽くしてしまって、出入りの書店さんからせし めた文庫目録を頼りにSFやミステリ、怪奇小説を(ツケで!)買いまくってま した。その書店さん、せんだっての東日本大震災で被災しちゃったんですが、今 も元気に営業してらっしゃいます。
 アニメ雑誌で知りあった人たちと創作同人誌を作ったりもしてました。新作は みんなで回覧し、批評し合うというシステム。ケータイもメールもない時代です んで、ぜーんぶ郵送。のんびりしてましたのう。

・作家・翻訳家になりたいと思ったのは、いつ頃、どうしてですか?

 ものを書く仕事以外にないなと決めたのは小学校の頃。持病があったので選択 肢がなかったんですね。今ならIT関係とか、あれこれあるんですけど、当時の 自分の視界に入った中ではもっとも現実的な進路でした。
 だからといって努力や勉強をしたわけじゃないので、ずいぶん回り道をしまし たけれども。

・最初の本(作品)を出版したきっかけはなんですか?

 ゲーム会社でのお仕事がきっかけです。
 私、一時期アドベンチャーゲームブックというのに熱中しまして、その流れで 蓬莱学園 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%93%AC%E8%8E%B1%E5%AD%A6%E5%9C%92 に参加。このとき同作の運営会社で人材募集がありまして、ありがたいことに採 用していただき、以後さまざまなお仕事を経験させていただきました。
 初の単行本は同ゲーム関連書籍の分担執筆。以後もライター仕事を続けており ましたが、縁あって小説執筆のお話をいただき、紆余曲折あって今に至ります。

・一週間だけ中学〜高校時代の自分と入れ替われたら、何をしますか?

 ドラえもんのタイムマシンみたいに狙った時点へ行けるなら、変えたい過去が いくつかあります。回避したい事故とかありますんでね。でもランダムで飛ばさ れるんなら……そりゃその場になってみないとわかんねーし、なんかこう、ドラ マ脳が刺激されてきますのう。
 いっそサイコロ振ってどの時点に戻るかを決めてみようかな。行った先で何が 起こるか考えてみる。ネタになるぞ! メモメモ、と。

・現役のYAな人達へ、熱いメッセージをどうぞ。

 とりあえず、ここに並ぶ作家さんたちのほとんどは、読んでくださったあなた と親しくなれると思いますよ。


石川宏千花さん☆彡

・どんな中学〜高校時代を過ごしていましたか?

中学ではバスケ部、高校では陸上部でした。
履歴だけなら完全に体育会系なのですが、 運動神経がまったくなかったので、中学でも高校でも、 つねにみっともなく、なさけない思いばかりしていました。
同時に、中学生のころからひっそりとパンクに傾倒、 さらなる迷走を重ねる日々を過ごすはめになりました。

・作家・翻訳家になりたいと思ったのは、いつ頃、どうしてですか?

本格的に作家になりたい、と思ったのは、20代の後半、 勤めていた会社をやめて、いろいろやっていたころです。
恋いこがれるほど好きになった小説や漫画、映画への思いを、 抱えているだけではつらくなってしまったんだと思います。

・最初の本(作品)を出版したきっかけはなんですか?

新人賞に応募して、佳作をいただいたのがきっかけです。

・一週間だけ中学〜高校時代の自分と入れ替われたら、何をしますか?

ツインテールやニーハイが非モテの象徴だった時代に、 よりによってそっち方面のファッションにハマっていたり、 安全靴を履いて通学したりしていたので、入れ替わっている間に、 女子として少しでもいい思いができる方向に軌道修正をしておいてあげたいです。
でも、もとに戻ったらすぐにまた、 残念な方向に全力疾走するんだろうな、とは思います。
それでいい、とも思います。

・現役のYAな人達へ、熱いメッセージをどうぞ。

イケてたかイケてなかったかの2択でしか十代をふりかえることができないとしたら、 わたしは確実にイケてなかったチームのほうの人間なので、 そちらがわの立場からお話してみますね。

あのころに戻りたい、と思える青春の日々がないというのは、 わたしにとってはすごく身軽でしあわせなことでした。
キラキラした青春の日々を過ごせなくても、 それすら人生の糧になるのが十代なのかな、と思います。

自分だっていつかはきっと! っていう気持ちを持ち続けてさえいれば、 おもしろおかしく日々を過ごせるときが、ある日とつぜん、するっとやってきます。
思い通りにならない『いま』であればあるほど、大人になったとき、 「大人ってすばらしい!」ってなるような気がします。
イケてない十代、悪くないです。
いっそ、おすすめです!


大崎梢さん☆彡

・どんな中学〜高校時代を過ごしていましたか?

悩みや不安、ジレンマ、コンプレックス、いろいろあったと思うのですが、 今になって振り返ると、地味で平凡な毎日だったなと。
当時の友だちとは今でも付き合いがあるので、それなりに楽しく幸せな 学生生活だったのかもしれません。

・作家・翻訳家になりたいと思ったのは、いつ頃、どうしてですか?

結婚して子どもが生まれ、その子どもの手が離れてから、 「お話」を書き始めました。空想するのが好きだったので。
作家になりたいという意識ではなく、書きたいものがあり、書きました。
これからもそのシンプルな気持ちを忘れずにいたいです。

・最初の本(作品)を出版したきっかけはなんですか?

元編集者さんがひらいた単発の講座で、書店を舞台にしたミステリを 読んでもらいました。
それが翌年、『配達あかずきん』という本になりました。

・一週間だけ中学〜高校時代の自分と入れ替われたら、何をしますか?

原宿や渋谷に行ってティーンズブランドの服を買って、それを着て、 ハンバーガーやアイスクリームを食べて、お台場とか行ってみたいです。

・現役のYAな人達へ、熱いメッセージをどうぞ。

最近ひとつ思うのですが、想像力&創造力、大事ですよ。
自分以外の他者を思いやれる、想像力。
何もないところから、何かを生み出すせる、創造力。
どちらも、二十代、三十代、四十代、五十代──(以下略)の、 自分自身を豊かにしてくれます。今から大切に育んでください。


香谷美季さん☆彡

・どんな中学〜高校時代を過ごしていましたか?

中高一貫教育の女子高で、バスケ三昧の日々を過ごしていました。
色気はゼロ。
やたらと広い体育館に、ボールや運動靴がキュッキュッとなる音が懐かしいです。
それ以外は、毎日のように窓から見える港の景色を、ボーっと見ていました。
(成績が悪かったのは、あの絶景のせいかな?)

・作家・翻訳家になりたいと思ったのは、いつ頃、どうしてですか?

作家になりたいと思ったのは、中学三年生の頃です。
理由ははっきり覚えていませんが、「あとがき」が書きたくて、作家になったのは確かです。
あとは、学校の窓から見える景色が、想像力を広げてくれたせいかもしれません。

・最初の本(作品)を出版したきっかけはなんですか?

ライトノベルですが、講談社のホワイトハート大賞で優秀賞を頂いたのがきっかけです。

・一週間だけ中学〜高校時代の自分と入れ替われたら、何をしますか?

どーしようもない自分をさらけ出してしまった友達との会話をやり直したいです。

・現役のYAな人達へ、熱いメッセージをどうぞ。

倍の時間を生きて思うのは、私という人間の基礎はすべて、自我が確立するあの時代にあるのだなあということです。
十代の傷は、すぐに癒えます。
友達とのケンカも含め、怖がらず、色々なことに挑戦してくださいね。


片川優子さん☆彡

・どんな中学〜高校時代を過ごしていましたか?

なにをしていたか、実はよく覚えていません。ほとんど部活動もしていなかったし、学校からほぼ毎日直帰していました。今考えると、有り余るほど時間があったと思います。高校一年生の時に賞をいただき、高校生の間に二冊の本を出版したので、執筆活動にいそしんでいたのではないでしょうか。

・作家になりたいと思ったのは、いつ頃、どうしてですか?

実は、物心ついたときからずっと獣医師になりたいと思っていました。現在は、大学の獣医学科に通っています。

・最初の本を出版したきっかけはなんですか?

講談社児童文学新人賞の佳作受賞がきっかけで、その時の作品を出版していただけることになりました。

・一週間だけ中学〜高校時代の自分と入れ替われたら、何をしますか?

とにかく海外へ行くか、なにか新しいことにチャレンジします。なるべく若いうちから広い世界に触れ、いろんなことを考えるのはとても大事な経験だと思います。

・現役のYAな人たちへ、熱いメッセージ

先にも書いたとおり、なるべく若いうちから、広い世界に触れてみてください。知識だけ得て知ったような気にならず、なにごとも自分で体験してみてください。能動的に、吸収するぞ、という意思を持って新しいことにチャレンジしたら、必ず得るものはあるはずです。嫌がりながらでは何の意味もありません。若ければ若いほど柔軟に吸収ができるはずです。その後の人生を変えるような素晴らしいものに出会えるかもしれません。とりあえず、迷ったらとにかくやってみてください。


風野潮さん☆彡

・どんな中学〜高校時代を過ごしていましたか?

中学は合唱部、高校はオーケストラ部と、どっぷり音楽漬けの毎日でした。でも、音楽以外では他人とコミュニケーションがうまく取れない性格だったので、部活引退した高3の1年間は友達ひとりもいなくて、さびしさのあまり小学生〜中1くらいまでよくやっていたように、大学ノートにいろいろと空想の物語を書き綴るようになっていました。

・作家・翻訳家になりたいと思ったのは、いつ頃、どうしてですか?

学生時代には文章関係の仕事は全く考えていませんでした。身の程知らずにも音大目指したりもしたけど、結局普通の大学に行って普通の主婦になってから、突然作家を目指すようになりました。きっかけは「老後には小説を書いて過ごしたい」と言っていた父が、退職間際に癌で倒れたこと。「やりたいことは、やりたいときにならなきゃ!」と思ったからです。

・最初の本(作品)を出版したきっかけはなんですか?

「何か書きたい!」と思い立ってからは、ずっと子連れで自費出版冊子を手に同人誌即売イベントに出続けていたのですが、あまり売れず、ある文芸系イベントのパンフレットでは不本意な低評価を受けて凹んでいました。そのときに、名指しではなかったものの「この評価に不満のある人は出版社系の文学賞に応募して評価を受けてみてください」と書かれていたもので、ある意味ヤケになって「絶対無理なとこに応募してやるっ!」と、講談社の賞に応募したら、受賞してしまいました(汗)。

・一週間だけ中学〜高校時代の自分と入れ替われたら、何をしますか?

今のセンスのままで戻れるなら、10代の頃しか出来ないような可愛らしいファッションを楽しみたいです♪当時の写真を見ると思わず泣きたくなるぐらいダッサいので…(汗)

・現役のYAな人達へ、熱いメッセージをどうぞ。

文学部も出てないし小説の書き方を習ったこともない私でしたが、ヘタクソなお話をいくつも書いているうちに、だんだんまともなお話が書けるようになり、本にしていただくこともできました。好きなことを仕事にするためには、そのジャンルの才能+それ以上に、あきらめずにチャレンジし続ける才能も必要だと思います。「好きこそものの上手なれ」という言葉は本当なんですよ♪


金原瑞人さん☆彡

・どんな中学〜高校時代を過ごしていましたか?

小学生の頃はごくごく普通の成績。平均、5段階の3.5。ただ人望はあって、ほぼ毎年、学級委員長をやっていた。ただ、人望もそこそこで1学期の委員長になったことはない。だいたいが2学期か3学期。小学校の3、4年のとき、現在、作家の山尾悠子が同じクラスで、ときどき、隣だったりして、たまに机を4つ並べて給食を食べるときもいっしょだったりしたのをよく覚えている。あの頃は、じつにかわいかった……山尾悠子が。
中学生の頃、成績が急上昇。教科書の類はすべて机の中に置いて帰っていたので、掃除当番から「おまえの机は重い!」とよく文句をいわれた。試験の前にちょっと勉強すればいい成績が取れた。井上靖の『敦煌』とかヘッセの『車輪の下』とか、その他、SFやミステリを読みながら、試験勉強をしていた。人生でいちばん女の子にもてた時代……だったと、いま思い返して思うものの、当時は、どう対処していいのかまったくわからず、すべてが無に帰してしまった。じつにもったいないことをしてしまったと、思い返すたびに、くやしい。
高校生の頃、成績が急降下。試験の前だけ勉強すればいいという中学校のときの方法では、地方の普通科の高校ではやっていけないということに気がついたのは、3年後。しっかり手遅れだった。高校時代はまったくもてなくて、まあ、好きになった子もいなかったからいいようなものの、あんまりいい思い出はない。そういえば、ひとり、かわいい子がいたなあ……いま、どうしてるんだろう。
浪人時代、いちばん鮮やかにいろんなことを覚えている。いちばん、だらだらして、いちばんどーしよーもなかった時代だけど、いちばん楽しくて切なかった。

・作家・翻訳家になりたいと思ったのは、いつ頃、どうしてですか?

『翻訳家じゃなくてカレー屋になりたかった』(ポプラ文庫)参照。

・最初の本(作品)を出版したきっかけはなんですか?

『翻訳家じゃなくてカレー屋になりたかった』(ポプラ文庫)参照。

・一週間だけ中学〜高校時代の自分と入れ替われたら、何をしますか?

やっぱり、浪人時代がいい。
昼頃起きて、桜台か江古田の町の定食屋で安い昼ご飯を食べて、パチンコ屋にいって、夕方、浪人下宿にもどって、まかないのまずい夕飯を食べて、仲間と麻雀をやって、夜の10時か11時頃、ふらっと何人かで飲み屋にいくと、赤提灯のお姉さんが、前の客の残していったビールや日本酒を持ってきてくれて、それを飲みながら、少しつまみを注文して、明け方、下宿にもどる……というやつを、一週間くらいやってみたい。なんか、もどってこられなかったりして。

・現役のYAな人達へ、熱いメッセージをどうぞ。

浪人、大学と似たようなもので、だらだらと好きなことをして、結局、ろくに就職もできず、しかたなく入った大学院……その先にいまの自分がいるわけなので、偉そうなことは何もいえない。だけど、そういう人生もいいような気がする。もし大学に入ったら、ちょっと枠からはずれてみると、思いがけない世界が広がったりすることもあるので、ぜひ試してみてほしい。
まあ、その新しい世界に入りこんで、出られなくなったらなったで、それもまたいいと思うし。


河合二湖さん☆彡

・どんな中学〜高校時代を過ごしていましたか?

テレビ放映されていた「天空の城ラピュタ」を観たのをきっかけに、宮崎駿さんやスタジオジブリの創りだす世界に衝撃を受け、大人になったら、こんな心がふるえるような作品をつくる人になりたい、と強く思っていました。
ファンクラブを通して知り合った全国の人たちと文通するかたわら、古本屋をまわって映画公開当時の雑誌のバックナンバーや関連本を集めているうちに、昔のマンガや音楽にも興味が広がってきて、「面白そうな本やCD」の発掘にいそしむ日々。
学校では地味で真面目な生徒でした。
外国、とりわけヨーロッパにあこがれていて、翻訳ものの児童文学やYA、マンガや映画などを通して、「今、ここでない場所」へ想いを馳せていました。

・作家・翻訳家になりたいと思ったのは、いつ頃、どうしてですか?

マンガ家かアニメの演出家になりたいと漠然と思っていたものの、職業にできるほどの絵が描けずに、断念。
ちょうど就職して数年が経ち、創作活動に費やせる時間的・体力的な余裕もなくなってきた時期でした。
表現したいものは沸いてくるのに、思うようにかたちにできなくて、もどかしい気持ちでいたとき、場所を選ばずにできて、(原稿用紙やインクやスクリーントーンで)部屋の汚れない小説を書いてみたらどうだろう?
と思いたち、児童文学の創作講座に参加することに。課題として提出した原稿用紙5枚のお話を、講師の石井睦美先生に褒めていただいて勇気づけられ、本格的に小説を書いてみることにしました。
とはいっても、当時は100枚以上の作品を完成させることさえ、まだ遠い目標。いつか作家になれたらいいなあ、と思ってはいましたが、まさか五年後に、本当になれるとは思っていませんでした。

・最初の本(作品)を出版したきっかけはなんですか?

講談社児童文学新人賞に応募した作品が新人賞を受賞し、単行本を出版していただけることになりました。

・一週間だけ中学〜高校時代の自分と入れ替われたら、何をしますか?

かつて自分を取り巻いていた世界を、旅行客にでもなったつもりで、ただひたすら「観察」します。
あと、公開当時、受験生で観そびれてしまった「耳をすませば」を、映画館で観たいです。

・現役のYAな人達へ、熱いメッセージをどうぞ。

毎日がつまらない、と思っている人へ:
今いる場所が、世界の全てじゃないです。
将来の夢や目標、本やマンガや映画の中の世界、日々のちょっとしたこと。何にでもかまわないから、「いいなあ。好きだな。素敵だな」と感じたら、その気持ちを大事にして、あこがれをふくらませてください。そして、好きなものに向かって、心身ともにもがいてほしいです。
あこがれで帆をふくらませて海に乗り出していけば、いずれどこかの岸にはたどりつきます。
ふと気がついてみたら、永遠に続くかのように思えた「つまらない毎日」はずっと彼方に遠ざかっているはず。

毎日が楽しくて仕方のない人へ:
あなたはとてもラッキーです!今のしあわせを、思いっきり味わって吸収してください。
吸収したしあわせは、近い将来もしくは遠い未来、あなたがピンチにおちいったときに、切り抜けるための力になってくれますから。


朽木祥さん☆彡

・どんな中学〜高校時代を過ごしていましたか?

テニスをするか本を読んでいました。

・作家・翻訳家になりたいと思ったのは、いつ頃、どうしてですか?

被爆二世なのでヒロシマについて「いつか」書きたいとずっと思っていましたが、 仕事や生活に追われてなかなか果たせないでいました。四十も過ぎたある年、教え子 の結婚式に出席するため出かけた国で、占い師にいきなり「ものを書けば世の中に散 る」と言われました。受賞年まで明言。これだけなら土産話のネタでしかなかったの ですが、同じ年、友人や知人が続いて病に倒れ志半ばとなりました。その無念を強く 感じ、「いつか」は来ないこともあるのだと思い知ったわけです。書きたいことや書 かなければならないことがあるなら、待っていてはいけないのだと。

・最初の本(作品)を出版したきっかけはなんですか?

(前の質問の答えに続きますが)それから習作を書き始め、幸いこれが賞をいただ いて刊行の運びに。

・一週間だけ中学〜高校時代の自分と入れ替われたら、何をしますか?

あのころと同じ一週間を送ると思います。朝練、昼練、夕練の後、友だちと自転車 を並べて帰って、本に読みふけり、本に突っ伏して寝る、そんな毎日。

・現役のYAな人達へ、熱いメッセージをどうぞ。

二〇十一年三月十一日、東北地方太平洋沖地震が起きました。被災地のみなさんが 失ったものの大きさを考えると、私は言葉を失います。自分が非常に無力であるとも 感じます。しかし、文学の最も深い力こそ、共感する力、痛みを分かち合う力、悲し みを共にする力であるとも信じています。被災地が一日も早く復興しますように!そ して、本を手にとることのできる日がまたやってきますように。


香坂直さん☆彡

・どんな中学〜高校時代を過ごしていましたか?

 父の転勤で中学でも高校でも転校を経験した、ということをのぞけば、特筆するこ とのないティーンエイジャーだった気がします。部活もしたし、勉強もしたし、嫌い な大人を見下していたし、好きなアイドルにキャアキャア言っていたし、気の合わな い子の悪口を言いまくったりもしたし、恋もしたし、親とも衝突したし。
 ただ、ひとつひとつの思い出にはとりどりの色があるのに、中学時代というものを まとめて振り返ると、ぼんやりした灰色の霧のなかにいたように思えてなりません。
 その霧から抜けだしたのは、高校生になったある日の放課後でした。なにがあった というわけではないのですが、友だちと陸橋を渡っていて、あ、なんか楽に呼吸して る! と気づき、目の前がふわあっと明るくなったのを覚えています。

・作家・翻訳家になりたいと思ったのは、いつ頃、どうしてですか?

 本を読むことはとてもとても好きでしたが、作家になりたい、と思ったことは一度 もありません。じゃあ、なんで? と問われると、うーんと呻いて天を仰いでしまい ます。ここに至るまでを順に語っていくと、とても長い。ので、かんたんに言ってし まいますと、行き当たりばったりに生きていたらこうなった、ということでしょう か。人生とは、ほんとうに不思議です。

・最初の本(作品)を出版したきっかけはなんですか?

 講談社児童文学新人賞に応募した作品が佳作に選ばれ、出版に至りました。なぜ応 募したのか? も、やはりそのときの流れで、としか言いようがありません。

・一週間だけ中学〜高校時代の自分と入れ替われたら、何をしますか?

 あまり昔のもどりたいとは思いませんが、いまの自分の言語能力を持って中学時代 にもどれるのなら、理路整然とものを言って、大嫌いだった教師と対峙したい。高校 時代にもどるとしたら、些細なことばの行き違いで連絡を絶ってしまった友人とのや りとりをやりなおしたいです。

・現役のYAな人達へ、熱いメッセージをどうぞ。

 まだ自分でも気づいていない才能が、あなたのなかに埋もれているかもしれませ ん。いろんな人と出会ったり、いろんな経験をすることで、その才能に行き当たるか もしれません。なにかに夢中になったり、ムキになったりしているうちに、その才能 がピカン! と輝きはじめるかもしれません。「かも」ばかりですが、可能性はだれ にだってあるはずです。人生がちっとも思いどおりにいかないものだとしても。
 それと、もうひとつ。可能性が「限りなくゼロに近い」と「ゼロ」は全然ちがう、 と思います。


香月日輪さん☆彡

・どんな中学〜高校時代を過ごしていましたか?

今と違い「ゆとり教育ではなかった」ため、大変「おだやかな学校生活」を送らせていただきました。
とりたてて飛び抜けたところもなく、ゆえに、あまり期待されることもなく、広い牧場に放し飼い状態。
自分の好きなことだけをしていればよいという、素晴らしい学生時代。
漫画、アニメ、映画、海外ドラマにまみれる毎日。勉強そっちのけで、漫画を読み、描き、アニメを見て、声優に なりた〜いとか思ったり、映画や海外ドラマをみて、翻訳家になりた〜いとか思ったり、そういうことについて、 同好の士と学校で遅くまでしゃべりたおし、「もう帰りなさい」と用務員さんに追い出されていました。
本? いわゆる小説などの本は、一冊も読んでません。 面目ない。

・作家・翻訳家になりたいと思ったのは、いつ頃、どうしてですか?

洋画や海外ドラマが大好きだったので、英語が好きで、それで翻訳家にはなりたいかな〜と思ったのは、高校生も終わりに近づいた頃です。 小説家になりたいとは、まったく思っていなかったです。

・最初の本(作品)を出版したきっかけはなんですか?

ポプラ社の「童話の海」に、シャレで応募したら佳作をいただきまして。あとは、担当編集さんがグイグイ押し進めていって、私は呆然と見ているだけでした。 ハッと気づいたらデビューしてました。

・一週間だけ中学〜高校時代の自分と入れ替われたら、何をしますか?

20年後に死ぬほど恥ずかしく思うイタイ行動をノートに書いて、自分がそうしないよう仕向けます。

・現役のYAな人達へ、熱いメッセージをどうぞ。

いろいろ悩んだり悲しんだり苦しんだりしてると思うけど、だいたいは勘違いや時間がたつとケロリとするよなことなんで、その時が来るのをじっと待ってなさい。

 

越水利江子さん☆彡

・どんな中学〜高校時代を過ごしていましたか?

中高通じて、ひたすら恋をしていたような気がします(今では、それが最も役立つネ タであります)。
高校では、勉強はまったくせず、漫画を描きまくっていました。 漫画家志望だったんです。
しかし、どの漫画雑誌に投稿しても、いわば中の上ぐらいで、佳作以上になったこと なし。
あ、でも、講談社の原作プロット大賞(いわば、漫画の原作ね)では、佳作ながら、 当時の新入社員の一カ月分の賞金をゲットしました。
その節はありがとうございました、講談社さま。

・作家・翻訳家になりたいと思ったのは、いつ頃、どうしてですか?

思ってもいなかったです。
作家なんて、どこかの偉〜い人がなるもんだと思っていたので。
短い童話を公募に投稿したことはありますが、単にお小遣いがほしかっただけのよう な気がします。

・最初の本(作品)を出版したきっかけはなんですか?

話せば長いので、手短にいうと、漫画家の夢破れ、たまたま主婦になった私には、 ずっと忘れられない幼馴染の男の子がいました。
その子のことは、大人になってもどうしても忘れられず、ある日、その子との思い出 を物語につづってみました。
書いたら、誰かに見て貰いたくなって、児童文学雑誌「飛ぶ教室」に投稿しました が、見事に落選。
で、原稿は机の上に放置してありました。
すると、その原稿を、学齢前の娘が寝床に持ち込み、毎夜毎夜、繰り返し読んでいる のを発見。
なぜ?と娘にきけば、「面白いから」という答え。(つまり、私の物語の最初の読者 は学齢前の娘です)
その後、紆余曲折があって、たまたまイラストレーターになってしまった私は、それ なら絵本を描いてみたいと、ある絵本出版社をたずねました。
その時、編集長だったKさんが「いや、これはむしろ物語にした方がいい」とおっ しゃったので、「それならあります(毎夜、娘の寝床に!)」と、その物語を読んで もらいました。
Kさんはその物語をほめてくださり、「うちでは絵本しか出せないから」と、某児童 書出版社の友人にわざわざ連絡を取って、拙作を推薦して下さいました。
それが、即決で本になって、またたく間に新人賞をW受賞してしまい、わけがわから ないうちに作家と呼ばれるようになりました。
でも、それらは全部、幼馴染だったあの子のおかげだと今も思っています。

・一週間だけ中学〜高校時代の自分と入れ替われたら、何をしますか?

やっぱり、幼馴染のあの子に会いたいです。今はもう、会えませんから。

・現役のYAな人達へ、熱いメッセージをどうぞ。

好きな道を突っ走れっ!


笹生陽子さん☆彡

問いあわせ中


後藤みわこさん☆彡

・どんな中学〜高校時代を過ごしていましたか?

いい子でもなく悪い子でもなく、です。
先生に目をかけられることも目をつけられることもない、記憶に残らないような子でした。
日直日誌の欄外まで雑談を書いて、「書くのが好きなのはいいけど、勉強もがんばれ」といわれたり、「ガラスの仮面」にハマって演劇部に入っちゃったりという、小ネタはあります。
「中二病」だったのかも(未だに治ってないかも?)。

・作家・翻訳家になりたいと思ったのは、いつ頃、どうしてですか?

10代のころは、「テレビの脚本家」になりたかったです。
「物語」を考えるのは好きだったけど、小説として形にする技術はありませんでした。
20代のころは、趣味で小説を書いていました。
「コバルト」に応募したりもしたけど、作家になれるとは思ってなかったです。
「なりたい」というか、「わたしはプロになりたいんだ。それを自分に認めて、ちゃんとトライしよう」と思ったのは、30代、結婚も出産もしてからです。
お小遣い(賞金)目当てで童話を書きはじめ、いくつかの童話賞に入選した頃でした。

・最初の本(作品)を出版したきっかけはなんですか?

わたしにできる「トライ」は「デビューにつながる童話賞に応募すること」でした。
それで応募した『福島正実記念SF童話賞』で大賞をいただき、本が出版されました。

・一週間だけ中学〜高校時代の自分と入れ替われたら、何をしますか?

ごめんなさい。その権利(?)は放棄します。
戻りたいと思ったことないです……というか、それは苦行……。

・現役のYAな人達へ、熱いメッセージをどうぞ。

年齢を重ねるごとに「自由になっていく」というのは、すごく感じています。
だからいつでも「今」がいちばん好き。
30代ではじめたことを「仕事」にしているわたしもいるくらいだし……「お楽しみはこれからだ」ですよね。
臆せず、いろんなものに出会って、したいことをしてみてほしいです。
(ただし、自分および自分以外の命に関わることは除く)


三辺律子さん☆彡

・どんな中学〜高校時代を過ごしていましたか?

ひたすら無駄に過ごしてました。
適度に勉強し、適度に部活をし、あとは友だちとお茶をし、街をぶらぶらしてたくらい?
誇れることは何もないので、「あれだけ時間を無駄にすごしたのは、今となっては貴重な経験であり、大人になってから目に見えない形で役立っている(はず)」と無理やり信じてます。

・作家・翻訳家になりたいと思ったのは、いつ頃、どうしてですか?

会社員を辞めて、母校の大学で研究室助手をしながら、猪熊葉子先生の授業を聴講したとき。
子ども時代と、子ども時代の読書経験が、一気によみがえってきて、「児童文学を翻訳しよう!」と、熱く(?)決意。

・最初の本(作品)を出版したきっかけはなんですか?

関東で児童文化学科があるのは白百合女子大学だったので、大学院へ入り、神宮輝夫先生の翻訳の授業をとりました。
毎週課題がたくさん出るので、脱落者が次々と出て、最後は先生と学生二人だけという、贅沢な授業に。
その後、先生が編集者の方に紹介してくださいました。

・一週間だけ中学〜高校時代の自分と入れ替われたら、何をしますか?

今度こそ無駄に過ごさず、猛勉強して海外留学を目指すーーーでも、一週間じゃ無理ですね。
無駄でも楽しかったので、また一週間、毎日友だちとぶらぶら遊びます。当時は100円くらいの飲み物で何時間も粘ってひたすらしゃべるだけでも、楽しかったので。

・現役のYAな人達へ、熱いメッセージをどうぞ。

わたしはたいしたことが言えそうにないので、代わりに当時猪熊先生から言われたメッセージを。
「やりたいことは、どこからか降ってくるわけじゃない。自分で決めるのよ」


篠原まりさん☆彡

・どんな中学〜高校時代を過ごしていましたか?

中学の時は、毎年クラス委員をやるような優等生でした。
高校の時は、学校が遠くなって通学に疲れておとなしくなりました。
小学校の頃からマンガとSFばっかり読んでいましたが、 魂の半分は現実とは違う世界に逃れて、それで生き延びたような気がします。

・作家・翻訳家になりたいと思ったのは、いつ頃、どうしてですか?

中学の時に「物書き」になりたいと思い、 大学では児童文学を書くサークルに入りましたが、 自分程度ではダメだろう、と自分で諦めてしまいました。
その後、普通に就職し結婚して退職し、子どもを産んでお母さんになりました。
物語を書くという夢を思い出したのは、専業主婦になって10年近くたって、 不登校の長女に「お母さんは大きくなったら何になるの?」と聞かれてからです。

・最初の本(作品)を出版したきっかけはなんですか?

児童文学評論家の赤木かん子さんのご指導で、 次女の小学校の図書室の改装をしたとき、 かん子さんに自作を読んでいただく機会がありました。
それをかん子さんがそこそこ面白いと思って、 出版社の編集さんに渡してくださったのがきっかけです。 

・一週間だけ中学〜高校時代の自分と入れ替われたら、何をしますか?

うーん、一週間だからなあ。とりあえず母に反抗してみたいです。
父も母ももう亡くなってしまったのですが、 生きている間は遠慮してちゃんと親子喧嘩できなかった気がするので。 

・現役のYAな人達へ、熱いメッセージをどうぞ。

中高生には、機会があれば「明日は今日の続き」と言う話をします。
今日あなたがしたこと、しなかったことが、明日のあなたを作ります。
だから、学校の勉強を頑張ろうね、という短絡的な話ではありません。
自分は10年後にどんな大人になっていたいかを考えてみてください。
その10年後のあなたは、どこか未来の国から突然やってくるのではなく、 今日からあなた自身が作り上げていくものなのだと、 心の隅にとめておいてくださいね。


新城カズマさん☆彡

・どんな中学〜高校時代を過ごしていましたか?

アメリカ&日本に住んでいましたが、どちらでも本ばかり読んでおりました。あとは、ひたすら悪友たちと遊び回っていたり……。

・作家・翻訳家になりたいと思ったのは、いつ頃、どうしてですか?

「物語をつくる人」になりたいと思ったのは小学生の頃からですが、「小説家にしよう」と決心したのは大学2年の頃だったと思います。理由は……うーむ……それがいちばん自分らしかったから、でしょうか。

・最初の本(作品)を出版したきっかけはなんですか?

某大規模参加型ゲームの運営を担当していた際に、某編集者さまと昵懇になり、「このゲームの舞台設定で小説書きませんか」「いいですよ」という会話の約1年後にデビュー作が出版されていました。詳しくはこちらをどうぞ→ 新城カズマ 蓬莱学園

・一週間だけ中学〜高校時代の自分と入れ替われたら、何をしますか?

前回よりもたくさん本を読んで、もっと悪友たちと遊びまくります。学生の本分とは、逸脱と逃走なのです。

・現役のYAな人達へ、熱いメッセージをどうぞ。

「そのうちなんとかなる!」


しんやひろゆきさん☆彡

・どんな中学〜高校時代を過ごしていましたか?

中学のときは調子に乗っていました。部活のバレーボール部ではキャプテンになったり、学祭でギターを弾いたりして、女子からキャーキャー言われ、その勢いで生徒会の選挙に出たらトップ当選したりして、今から思えば随分イヤなやつでした。
ところが高校生になると一転して地味に。同じようにバレー部入っていたし、学祭でギターを弾いたりもしていたのに、女子からキャーキャーなんて全然無縁になってしまいました。
でも、アホな友達とアホなことを言ったりやったりして、楽しく暮らしていました。
因みに妻と初めて出会ったのは高校1年生のクラスの教室でしたが、結局高校生の間は片思いのまま終わりました。あまずっぱい思い出です。

・作家・翻訳家になりたいと思ったのは、いつ頃、どうしてですか?

高校生のときに身体の調子が悪くで伏せていることが多かった時期があったのてすが、当然のように気持ちも暗くなっていました。できることといえば読書くらいしかなく、よりによって太宰を読み耽っていたのですが、相乗効果のようにどんどん気持ちが沈んでいきました(当たり前ですよね)。そのときふとしたきっかけで読みはじめた宮澤賢治や新美南吉、佐藤さとるなどの童話に、気持ち的に随分と助けられ、気がつくと身体の方も治っていました。改めて子どもの本ってすごいと思い、そんなふうな心も身体も癒すことができる「力」のある作品を、自分でも書いてみたいと思うようになったのです。

・最初の本(作品)を出版したきっかけはなんですか?

持ち込み原稿を編集者さんに気に入っていただいたのがきっかけです。
もう少し詳しくいうと、結果的に2作目になった作品をその前に送らせていただいていたんですが、一度お会いしましょうと言われてお会いして、それだけですっかり舞い上がってしまい(つまり、すっかり作家になった気分になってしまい)、帰ってから調子にのって三日間で書き上げた作品が、先にデビュー作となりました。

・一週間だけ中学〜高校時代の自分と入れ替われたら、何をしますか?

中学生のとき、つきあっていた女の子に「しんやくんて、おじさんみたい」と言われてふられたので、あのときに戻って、7日間「若さ」を無理からでも出しまくって、リベンジを果たしたい。

・現役のYAな人達へ、熱いメッセージをどうぞ。

人はおじさんおばさんになると必ず「もっと勉強しておけばよかった」と言うものです。きっとあなたも言うと思います。それはみんな本当に正直な気持ちで、実際カルチャーセンターに通ったり、大学の社会人入学をしたりする人も多いです。かく言うぼくも、もう一度大学に入って、今度は経済学を学ぶのが夢だったりします。
そんなわけで敢えて言いましょう。若人よ、今の間に精一杯勉強しなさい、と。
みなさんにとっては勉強できる今の環境って、ただうっとおしいだけかもしれないですけど、実はすごおく貴重なことなんですよ。


代田亜香子さん☆彡

・どんな中学〜高校時代を過ごしていましたか?

 女子高だったため、カッコいい先輩や同級生にあこがれてキャアキャアいったり交換日記をしたり、宝塚を(半分本気で)目指してヒラヒラした服を着てダンスのレッスンにはげみ、友だちとサンリオショップに通ってお菓子作りパーティをしてクレープ屋さんに寄り道して、とにかくめちゃくちゃ女子な、まったくなんにも考えてない子どもでした。

・作家・翻訳家になりたいと思ったのは、いつ頃、どうしてですか?

 中学1年のとき、“うさこちゃん”はMiffyだと知って、翻訳家ってすごいと感動したとき。

・最初の本(作品)を出版したきっかけはなんですか?

 金原先生の下訳をした白水社に、ニューヨークで買ってきた本のレジュメをもちこんでいただき、出版につながりました。

・一週間だけ中学〜高校時代の自分と入れ替われたら、何をしますか?

 男子校の生徒たちと図書館で知り合って、学園ラブロマンスコメディの両想いになるまでのトキメキの七日間を実体験する。

・現役のYAな人達へ、熱いメッセージをどうぞ。

 これからいっぱい楽しいことがあります! どんどんおもしろくなってくるはずです! バカなこといっぱいして、でも本だけはいつもそばにおいておいてください!


たからしげるさん☆彡

・どんな中学〜高校時代を過ごしていましたか?

 一貫してバスケットボール部でしたが、高校2年になってからエレキバンドを組んでド ラムスを担当しました。将来のことなんて何も考えていませんでした。高校卒業前後、 大学受験に失敗して、つきあっていた彼女にふられて、道ばたで知らない相手に因縁を つけられていきなりチョーパン(頭突き)をいただきました。もうやだ、と思いました 。

・作家・翻訳家になりたいと思ったのは、いつ頃、どうしてですか?

 高校生のころ、星新一のショートショートに夢中になって、自分でも書きたくなりまし た。ただし、作家というのは特別の才能がある選ばれた人がなる職業で、自分にはまっ たく縁遠いものだとずっと思っていました。でも、読書は好きだったので、編集者にな りたいと思いました。ところが編集者になったと思ったら会社がつぶれて放り出されて 、気がついたら新聞記者になっていました。書くことは、嫌いじゃなかったんですね。

・最初の本(作品)を出版したきっかけはなんですか?

 新聞社の異動で地方の支局の通信部員を3年ほどやって、本社に戻ってきたら、仕事関 係で編集者のNさんと知り合いました。ある日、Nさんとお茶を飲みながら通信部時代 の話を、あることないことべらべらしゃべっていたら、そういうのお話にしませんか? と提案されました。おもしろいかも、と思って、お父さんが「今一新聞・土固可県・ 土固可支局・おもしろ通信部」で働いている小学5年生の視点から描いた通信部員の日 常のフカシギ物語を連作短編集として書き上げました。それがデビュー作となった『フ カシギ系。@ しゃべる犬』(ポプラ社)になりました。

・一週間だけ中学〜高校時代の自分と入れ替われたら、何をしますか?

 一週間じゃ、きっと何もできないでしょう。すでにこの世にいない父親がまだ生きてい るわけだから、めいっぱいの親孝行かなあ。

・現役のYAな人達へ、熱いメッセージをどうぞ。

 将来の目標がある人は、それに向けて突っ走ってください。目標がない人、わからない 人は、焦る必要はありません。きょうやるべきこと、いまやるべきことに精一杯力を注 げば、だんだん目標が見えてくるはずだから。それでも目標が見えてこない人は、目標 なんてどうでもいいんです。どうしたら自分が幸せになれるかだけを考えて、毎日を過 ごしましょう。


中村浩美さん☆彡

・どんな中学〜高校時代を過ごしていましたか?

自分の興味のあることにしか目がいかない子だったなあと思います。ぼんやり おっとりマイペース。いまとあまり変わっていないかも。
運動が大の苦手なので、合唱部に所属していました。あとは本ばかり読んでい たような気がします。

・作家・翻訳家になりたいと思ったのは、いつ頃、どうしてですか?

翻訳をやってみたいと思いたったのはOL時代。勤務先に同時通訳の勉強をし ている方がいて、なんとなく触発されました。子どものころから本を読むのは好 きでしたが、そんな形で本に関わる仕事をしようとはそれまで考えたこともなか ったので、不思議なめぐりあわせだなあと思います。

・最初の本(作品)を出版したきっかけはなんですか?

とある翻訳コンテストで入賞したことがきっかけで、子どもむけのイラストブ ックの翻訳の仕事をいただきました。ただ、そのときは次の仕事につなげること ができませんでした。
その後、金原瑞人先生に師事し、下訳などをさせていただけるようになりまし た。いまも変わらずお世話になっています。

・一週間だけ中学〜高校時代の自分と入れ替われたら、何をしますか?

当時とちがうことをする自分が想像できないので、いまのままでいいかなと思 います。

・現役のYAな人達へ、熱いメッセージをどうぞ。

興味を持ったことには思いっきりのめりこんでください。一見なんの役にも立 ちそうになくても、なにかに夢中になって打ちこんだ経験はきっと財産になるは ず。


梨屋アリエさん☆彡

・どんな中学〜高校時代を過ごしていましたか?

 中学生になったころから作家になりたいと思い始め、短い小説を書いて雑誌に投稿したり、友だちとアニメの同人誌を作ったりしていました。メールのない時代だったので、雑誌の仲間募集で知り合ったアニメ好きな人たちと文通をしていました。
 世界が何でできているのかが知りたくて、科学や宗教や神話、精神世界、超古代遺跡やノストラダムスや宇宙人が来ているなどの神秘的な本をよく読んでいました。健康体でしたが、自分は大人になる前に死ぬのだろうと漠然と思っていました。
 学校生活では、周りに意見を合わせるのが苦手でした。内気だったので気持ちが上手く表わせず、言葉が足りずにキツイ言葉だけが伝わってしまい、気がつくと孤立していることも。創作仲間以外の人(つまり大多数の同級生)からは、クライとか冷めてるとか不思議とか藁人形作ってそうとかと言われてました。イジメという言葉が普及してない時代だったせいか、いじめられていた自覚は全くありません。むしろ一般人とは違うのだ、とネガティブな特別感を勲章のように感じていたかも。そんな人だったので、クラスにしゃべる人がいないなあ……と思ったことは数回あります。でも、とくにしゃべりたいこともないし……ということで済んでいました。
 家では、自室にひきこもりがち。家族が大嫌いで、特に父親とは中学高校時代はほとんど口をきいていませんでした。人の間に自分を受け入れてくれる場所が見つけられなかったから、小説を書くほうに気持ちが向かったのかもしれません。
 高校二年生から、進学のことを考えて音楽科の受験勉強に気持ちがシフトし、小説を書く時間が持てなくなりました。でも、いつかは作家になるつもりでいました。

・作家・翻訳家になりたいと思ったのは、いつ頃、どうしてですか?

 中学生になって、学校の読書の時間に本を読むようになって興味を持ち、自分も書く人になりたいと思いました。もともと、何かを作る人になりたかったので、漫画を描くことや作曲をすることにも興味がありましたが、言葉を使う創作の場合は表現したい思いが直接伝わりやすいので、わかりやすくて面白いなって。

・最初の本(作品)を出版したきっかけはなんですか?

 講談社児童文学新人賞に応募して、受賞したことが、一作目の単行本の出版のきっかけです。
 それより前に、ペンネームはいまと違いますが、自分の作品が初めて雑誌に採用されたのは、コバルト短編小説新人賞に応募して、佳作入賞で掲載された季刊「cobalt」。その賞はデビューにはつながりませんでしたが、これをきっかけに、私でもプロになれるかもと希望を持ちました。

・一週間だけ中学〜高校時代の自分と入れ替われたら、何をしますか?

 学生作家として最年少デビューがしたかったので、今の頭で中学生にもどって小説を書いて、あちこちの有名な新人賞に応募してみます。笑。

・現役のYAな人達へ、熱いメッセージをどうぞ。

 大人になっても変わらない部分は、意外とたくさんあります。恐れずに、大人になってください。変わらないのはいやだ、変えたいっという人は、精進してください。人の成長は、年齢ではなく、「ま、いいか」と思ったときに、そこで止まるようです。
 それから、読書の記録をつけることをお勧めします。感想文ではなく簡単なメモでいいので、タイトルと著者名、出版社、出版年、読んだ月などの情報を順番にノートなどに残しておくと、何年か後に見たときに、知識の蓄積が目に見えて、興味や関心の轍を知ることができて、きっとあなたの自信になります。


西田登さん☆彡

・どんな中学〜高校時代を過ごしていましたか?

不満、倦怠、逃避の堂々めぐり。今はそこに労働とささやかな喜びが加わっただけ。

・作家・翻訳家になりたいと思ったのは、いつ頃、どうしてですか?

浪人時代、ヘミングウェイの『海流のなかの島々』(表記未確認)を読んで、翻訳家というあやしい存在が気になり始めました。

・最初の本(作品)を出版したきっかけはなんですか?

ずっと師事していた金原瑞人先生との共訳。

・一週間だけ中学〜高校時代の自分と入れ替われたら、何をしますか?

十代の頃に限らず、過去になんて戻りたくありません。せっかくここまで生きたのに!

・現役のYAな人達へ、熱いメッセージをどうぞ。

とりあえず生きてみよう!


那須田淳さん☆彡

・どんな中学〜高校時代を過ごしていましたか?

 中学は鎌倉の公立でした。所属クラブはワンゲル部で、入ったときはまだクラブが創設されたばかりで、先輩たちもろくに練習もせず「帰宅部」みたいところだったけれど、このままでおれたちいいのだろうかと一年の二学期に仲間たちと相談し、まじめに取り組みはじめました。近くの海岸を20キロの砂袋をかついで歩いたり、ばっかじゃないかと叫びながら校庭を50周走ったりとハードトレーニングも。ただ中三の夏に部員の一人が八ヶ岳で遭難する事故があり、無事救出されたもののクラブは結局、廃部に・・・。けっこう燃焼したと思う日々でした。あとほぼ三年間図書委員だったので、クラブのないときは、放課後ずっと図書室で本を読んでおりました。高校に入ってからは、もうちょっと考えて行動しようと思い立ち、考えるには歩くのがよいだろうと散歩ばかりしていましたね。もっとも考えることっていっても、宝くじにもしあたったらどうしょうとか、しょうもないことが多かった気がしますが・・・。あとは高校2年で転校したこともあり、親しい友達もいなかったので、お年玉でやっと手に入れた自分専用の小さなラジカセ(当時は、まだウォークマンもなかったし、ポータブルでもけっこうでかかった)を担いで、近所の湖まで歩いていって、岸辺でイヤフォンで音楽聴きながら、本を読んだり、ひとりぼーと空を見上げていたりしました。聴いていたのは、中学時代の「カーペンターズ」は卒業し、「ビリー・ジョエル」や「サザン・オールスターズ」のちょっと前だから、たぶん「もう一度ビートルズ」と「モーツアルト」の頃 だったと思います。ラジオの深夜放送をずっと聞いていたので、あくびばかりしていたのを覚えてます。

・作家・翻訳家になりたいと思ったのは、いつ頃、どうしてですか?

 高校時代はあるときは古代エジプトとかインカなどの歴史に興味があったり、ふいに思いついて詩を書いたりしていたのだけれど(考えてみるとへんなやつだね)、浪人中に映画にめざめて、予備校にろくにいかずに弁当をもって名画座(当時は三本立てなんていうのがわりとあった)通い。浪人していたとき、脚本の養成所にもちょっと席をおいたりしていましたが、大学に入ってから、映画の原作になるようなものと思って小説を手がけはじめ、そのあと書くほうにはまったというところでしょうか。小説といっても、書くのは、当時から、僕はとくに十代を主人公にした青春小説(YA)が中心でしたが。プロの作家になりたいというより、ともかく自分が納得できる作品を仕上げ、できれば本にしてもらって、だれかに読んでもらいたいということしか考えていませんでした。大学を卒業して、就職をすることもなく、わりとはやくデビューでき、その後もなんとか書くだけでやっていけたので、そのまま作家業を続けて今に至ります。

・最初の本(作品)を出版したきっかけはなんですか?

僕は、父親も叔母も児童文学の作家で、小さい頃からその世界にはなじみ深いものがありました。ただ職業としては浮き沈みもはげしいし、食べていくのは厳しいから、作家だけにはならないでねと母にずっと言われて育ったのだけれど・・・。でも、書くことは好きだったし、大学在学中に書いた原稿をもってあっちこっち出版社をたずね歩き、修正すればなんとかなるかもと励まされて(本気で信じて)、就職活動も一度もせずに書き続け、そのまま卒業。日本は、バブル時代で、仕事ならなんでもありそうだったし、生まれつき楽天家だったせいもあるかも。それで、版元に原稿を預けて、在学中に珈琲店でアルバイトして貯めたお金をもってイギリスとドイツに渡航し、貯金がつきるまで滞在してから、帰国したものの、出版のほうはなんの進展もなく・・・。これはやっぱり自分の原稿がだめなんじゃないかと思い直し、とりあえず最低限のバイトしながら、一年かけて再度、書き直したところ、ポプラ社がゴーサインを出してくれたのでデビュー。それがYAの近未来小説として書いた「三毛猫のしっぽに黄色いパジャマ」です。88年のことです。

・一週間だけ中学〜高校時代の自分と入れ替われたら、何をしますか?

 一週間というのがミソですね、うーん、・・・。たぶん僕がYAを書きたいと思うのは、じつはこういうことをイメージして書いているのだと思いますね。ああすればよかった、て、ことばかりだから。でも、入れ替わったとしても、結局、同じことしかできないかもしれないけれど。あ、でも、中三の夏と、卒業前と、高一の二月の一週間は、とくにもう一度やれたらいいな。あのときと違う言葉や態度をとっていたら、僕の人生はもうちょっと彩り豊かになっていたかもしれないから。

・現役のYAな人達へ、熱いメッセージをどうぞ。

 まるっきり後悔しない人生なんてないんだと思う。ただ何かやって(失敗して)後悔するのと、何もせずに後悔するのでは大きく違うはず。だったら何かやったほうがいい。やりたいことがみつからなかったらなかったで、そのことを悩むぐらいできるし。あと本は傑作も駄作もなんでもいいからたくさん読みましょう。本中毒で死ぬ人はいませんから。本を読んでいるときって、その世界に入り込んでいると同時に、じつは自分とも向き合えているのだと思います。


野沢佳織さん☆彡

・どんな中学〜高校時代を過ごしていましたか?

中学時代は目立ちたがりで怖いもの知らずの演劇部員&学級委員でしたが、 高校入学後、一転して根暗なメガネ女子(女史?)に。
軽い会話困難症(自分でつけた病名)に陥っていたため、休み時間もあまり人と話さず、 文庫本を読みふけっていたりしました。
自分がひどく無価値な人間に思えて、「死ぬ勇気がないから 生きてるだけ」とか日記に書いちゃう、自分大好きなくせに自虐的な、めんどくさい子でした。
ただ、相変わらず演劇部員で、放課後は屋上で雲をみながら発声練習をしていました。

・作家・翻訳家になりたいと思ったのは、いつ頃、どうしてですか?

英文科を出て企業で数年働いたあと専業主婦になり、海外に住んで子どもを育てていたときに、 英語の絵本・児童書・YA作品に多く触れ、とくにロバート・ウェストールの作品に感動して、 海外のおもしろい作品を日本の読者に紹介できる文芸翻訳家になりたいと思いました。

・最初の本(作品)を出版したきっかけはなんですか?

バベル翻訳学院で師事した金原瑞人先生から、初めに下訳、続いて共訳のお仕事をいただきました。
ちなみに二冊目は、リーディング(原書を要約する仕事)を二年ほどさせてもらっていた出版社の 編集者から「そろそろ訳してみる?」と声をかけてもらって、実現しました。

・一週間だけ中学〜高校時代の自分と入れ替われたら、何をしますか?

好きでも嫌いでもない男の子から映画に誘われたら、(当時はことわってしまったけど)行ってみる。

・現役のYAな人達へ、熱いメッセージをどうぞ。

わたしと同じ、運動の苦手な人へ。
将来どんな仕事についてどんな生き方をするにせよ、体力はあったほうがいいです。 人生を十分楽しむためにも、体力は必要です。
めんどうかもしれないけど、何か続けられそうな運動をみつけてトライしてください。


野村美月さん☆彡

・どんな中学〜高校時代を過ごしていましたか?

書いたり読んだり、書いたり読んだり、書いたり読んだりでした。 ノートに横書きでお話を書いて、感想ノートと一緒に友達に回して いたりして、その感想を読むのが、すごく楽しみでした。

・作家・翻訳家になりたいと思ったのは、いつ頃、どうしてですか?

幼稚園から小学校の頃は、童話や劇のシナリオを書いていたのですが、 中学に入り、部の先輩に薦められた氷室冴子さんや新井素子さんの 小説を読んで、こういう書き方もあるんだ〜、こういうお仕事もある んだ〜と衝撃を受けて、作家を目指すようになりました。

・最初の本(作品)を出版したきっかけはなんですか?

新人賞に投稿した作品が賞をいただき、デビューしました。

・一週間だけ中学〜高校時代の自分と入れ替われたら、何をしますか?

この想像は、昔から何度も繰り返してきました。それこそ幼稚園 くらいから今の記憶を持ってやり直せたらとか……けど、どの時代に 戻っても、真っ先にやりはじめるのは物語を書くことでした。
あの頃に戻ったら、あれが書けるんじゃないかとか。あの頃に戻って あれを書きたい! とか、まずはワープロ買ってもらわなきゃとか 延々考えて、我に返ったあと「……他にすることないのか」と、 がっくりするというパターンでした。
なので、一週間だけ戻ってもきっと書いてしまうでしょう。

・現役のYAな人達へ、熱いメッセージをどうぞ。

経験値の少ない私が言うのは、矛盾しているのですが……。
今、あなたたちがいるのは、可能性に満ちた素晴らしい時間です! いろんな経験をして、たくさんのことを感じてください!
本も、今だからこそ響くものが、いっぱいありますよ!


花形みつるさんさん☆彡

・どんな中学〜高校時代を過ごしていましたか?

中学、高校ともに美術部でした。超文系です。
昔のことなのであまりよく覚えていませんが、ボーッとしていたように思います。
たいがいのことは「そーゆうヤツだから」ということで、 クラスメートから大目に見られていたような気がします。

・作家・翻訳家になりたいと思ったのは、いつ頃、どうしてですか?

三十代前半、子どもができて仕事もやめて、育児に突入。
家にいてもできる仕事で最小限の道具でできるもの、 と考えたら、小説家でした。

・最初の本(作品)を出版したきっかけはなんですか?

書き方がわからないので、約一年間、ひたすらボーッと考えていたら、 ある日突然、一行目が浮かびました。
(今でも、時々、書き方がわからなくなるときがある)
出来上がった三百枚で文藝賞に応募しました。
最終選考に残り、受賞はしなかったものの、 当時の編集長に「おもしろいから他にも書いてみない?」 と言われ、次の年に長編を「文藝」に載せていただきました。
それが、最初の本となりました。

・一週間だけ中学〜高校時代の自分と入れ替われたら、何をしますか?

戻りたくないです。恥ずかしい。

・現役のYAな人達へ、熱いメッセージをどうぞ。

若くていいことは、時間が無尽蔵にあると錯覚できること。
いっぱい浪費してください。


原田勝さん☆彡

・どんな中学〜高校時代を過ごしていましたか?

(1) 部活のソフトテニスをしていた。当時は「軟式庭球」もしくは「軟式テニス」と言ってました。高校時代の軟庭部の仲間や顧問の先生とは、今もつきあいがあります。
(2)テレビの洋画劇場をよく見ていた。ほぼ毎日、ゴールデンタイムに、どこかのチャンネルで放映していました。
(3)翻訳小説はよく読んでいたように思います。

・作家・翻訳家になりたいと思ったのは、いつ頃、どうしてですか?

サラリーマンを9年ほどした頃、まず会社を辞めたくなり、次に目標をもつべきだと考え、一人でできることはないかと頭をひねり、「なんとなく」自分の名前の入った訳書を出すことを目標にしてみた。強いて理由を挙げれば、辞書を引くひまのない通訳は無理だが、いくらでも辞書を引ける翻訳ならできるんじゃないか、と軽い気持ちで考えていたと思います。

・最初の本(作品)を出版したきっかけはなんですか?

翻訳学校で教わった金原瑞人先生の紹介で、自分が下読みした原書の翻訳を任されました。ところが、ほとんど訳しおえていたのに、企画がぽしゃり、別の出版社に拾ってもらったのが、『ミッドナイトブルー』(ポーリン・フィスク作、ほるぷ出版)です。

・一週間だけ中学〜高校時代の自分と入れ替われたら、何をしますか?

恥ずかしくて書けません。

・現役のYAな人達へ、熱いメッセージをどうぞ。

毎日がうまく行ってる人も、うまくいってない人も、戦ってる人も、戦ってない人も、学校や受験という枠組は、たまたま今という時代に、日本という国に生きてるからあるのだ、ということを、いつも心のどこかにおいておいてほしい。枠の中で活躍する人もいれば、枠から出ることで活躍する人もいる。時代や国境を越えてものを見る目をもってほしい。文学は必ずその助けになります。


松山美保さん☆彡

・どんな中学〜高校時代を過ごしていましたか?

長野の田舎娘でした(今も垢ぬけてはおりませんが…)
中学時代は毎朝4時起きで軟式テニス部の朝練に励んだもののうまくならず、この頃 にはスポーツの才能はないと悟りました。
それよりも週末にビートルズやアバの曲をかけながら、大声張りあげて歌うことが大 好きでした。
高校時代は地味な生徒で、好きな男の子はいましたが、周囲の恋愛事情にもほとんど 興味がなく(男女共学校だったので、誰クンと誰さんがくっついたとか別れたとか、 みんなよく話題にしていました)、一部の人に「仙人」と呼ばれていたらしいです。 一番の思い出は文化祭で「ハムレット」をやり、オフィーリア役を演じたことです が、セリフより歌ってばかりいた記憶があります。

・作家・翻訳家になりたいと思ったのは、いつ頃、どうしてですか?

中高生時代はイギリスやアメリカへの憧れが強かったのに、東京に出て刺激を受けた せいか(?)大学卒業後は普通に就職し、しばらく英語から離れていました。旅行会 社にいたので、仕事や研修で時々海外に行くことで満足していた気がします。30歳に なってからふと思い立って翻訳の勉強を始め、楽しいと思ったのが翻訳家を意識した きっかけです。

・最初の本(作品)を出版したきっかけはなんですか?

友人(代田亜香子さん)の紹介で、金原瑞人先生の下訳をさせていただいたのが初仕 事で、その後、先生の共訳者として名前を出させていただきました。自分で言うのも なんですが、かなり恵まれた例だと思います。その代わり、まだまだ修業の身であ り、私も作家、翻訳家を目指す人と立場は同じです。

・一週間だけ中学〜高校時代の自分と入れ替われたら、何をしますか?

(旅費があると仮定して)十代の目で当時のイギリスを満喫したい。
同窓生なのに当時は話す機会がなかった、今身近にいる男性陣(夫や友人)に話しか けてみる。

・現役のYAな人達へ、熱いメッセージをどうぞ。

今、既に夢や目標のある人はそれだけで幸運です。夢の実現に向かってつき進むだ け。失敗や挫折があっても、それが糧になったと思えるときが必ずやって来ます。 「あせらず、あきらめず」です。
今は、勉強や恋の悩みが一番で、具体的な夢や目標はまだ、という人はどっぷり悩み につかって自分と向き合うといいと思います。やがて、そこから抜け出し、何かを きっかけにスイッチが入って、前に進めるときが必ず来るから。そのための充電期間 は誰にも必要なものです。やっぱり「あせらず、あきらめず」です。
と、エラそうなことを書きましたが、私もまだ大した経験も積んでいない身。(歳は 無視して)気分は十分YAです。現役YA組に負けないよう、いろいろなことに挑戦 しています。「あせらず、あきらめず、そして楽しく」です。

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誉田哲也さん☆彡

・どんな中学〜高校時代を過ごしていましたか?

ロックバンドをやっていました。
バイトをし、楽器を買い、練習をし、曲を作り、
仲間を見つけては失い、また探す日々でした。

・作家・翻訳家になりたいと思ったのは、いつ頃、どうしてですか?

30歳になった頃、音楽の道で生きていくことを諦めました。
それと前後して、小説家になりたいと考えるようになりました。 なんの足掛かりもないのに、自信はあったんです。
これならやっていけると。ですので宣言もしました。
「僕は小説家になるのだ」と。

・最初の本(作品)を出版したきっかけはなんですか?

新人賞に応募して、受賞。その受賞作がデビュー作です。

・一週間だけ中学〜高校時代の自分と入れ替われたら、何をしますか?

同じことをすると思います。
楽器を弾いて、曲を作ってたら終わってしまうでしょうね。

・現役のYAな人達へ、熱いメッセージをどうぞ。

思う存分悩んで、もがき苦しんでください。
難しいかもしれないですが、
同時にそれを楽しむ視点を持ってください。
何もかも上手くいったら、人生なんてつまらないですよ。
ゲームと一緒です。難しいからクリアしたくなる。
ガンガンハードル上げて、バンバン踏み倒していこう!

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宮下恵茉さん☆彡

・どんな中学〜高校時代を過ごしていましたか?

 中学時代→これぞ、「ザ・女子!」というような女子中学生でした。 登校前は髪型と色つきリップ、制服の着こなしに心を砕き、 授業中には牛乳瓶やらリボンの形やらの凝った折り方の手紙を友だちに回し、 休み時間は友だちと固まってトイレに行き、 放課後はカッコイイ先輩のファンクラブを作ってみんなできゃあきゃあ騒ぎ…。 全身から「きゃぴきゃぴ」という音が出てたような気がします…。
 高校時代→彼氏のこととファッションのことしか 考えていないどうしようもない女子高生でした。 当時のバイブルは別冊マーガレットとオリーブ。 人からどう見られるかばかり考えていて、 自分に都合の悪いことは全部環境のせいにする性格極悪少女でした。

・作家・翻訳家になりたいと思ったのは、いつ頃、どうしてですか?

 大学生4回生の頃です。
 当時受講していた創作ゼミで、川村たかし先生に私の書いた 掌編をほめていただき、「プロの先生にほめてもらえたんやから、 私、プロになれるんやわ!」と図々しいカン違いしたのがきっかけです。

・最初の本(作品)を出版したきっかけはなんですか?

 小川未明文学賞を受賞し、出版への道が開けました。

・一週間だけ中学〜高校時代の自分と入れ替われたら、何をしますか?

 中学時代→当時の関係者に「宮下さんは中学時代とてもまじめなよい子だった」と 思い込ませるよう、校則をきちんと守り、周囲の人に誠意を尽くし、しっかり勉学に励み、 みんなの記憶の上書きを図ります。(同窓会対策)
 高校時代→とりあえず、部活に入ります。

・現役のYAな人達へ、熱いメッセージをどうぞ。

 10代は、かっこ悪いほうが、かっこいい。  もがいて、なんぼです!

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横山充男さん☆彡

・どんな中学〜高校時代を過ごしていましたか?

 中学時代はとにかく真面目一本やりで生きていました。なにせ育ったところがとんでもなくヤバイ所でしたから、そこから抜け出すにはまじめに勉強して、一般の暮らしができるようにならなければならないと真剣に考えておりました。高校時代も基本的には真面目路線でしたが、けっこう息切れがしてきて、陰で悪さをするようになりました。ちょうど全国的な学園紛争の時代で、高校生のわたしもいっちょまえに政治的な言葉を口にしつつ、アルバイトで買ったフォークギターを弾き鳴らし、「羅生門」というバンドをつくり歌いまくっておりました。ああ、恥ずかしや。

・ 作家・翻訳家になりたいと思ったのは、いつ頃、どうしてですか?

 高卒で京都に就職し、悪さばかりをしていた報いで、肺結核を患いました。療養所に入り、一年半の入院生活を送っているときに宮沢賢治の詩と童話に出会いました。賢治のような生き方をしたいと願うようになり、作家と教師をめざすようになりました。その後、大学に入り、教師になるための勉強と、児童文学研究会というクラブで童話の創作に打ち込みました。

・最初の本(作品)を出版したきっかけはなんですか?

 高校の教師になって七、八年たち、ようやく仕事にもなれてきたころ、童話をまた書き始めました。作品のほとんどは創作民話で、公募の賞にも入ったりしたのですが、あるとき友人の作家から、教師として日々生きている現場のことを書くべきだと言われました。それがきっかけで、不登校の中学生を主人公にした作品を書きました。友人の作家から出版社も紹介してもらい、運よく出版の運びとなりました。

・ 一週間だけ中学〜高校時代の自分と入れ替われたら、何をしますか?

 もどりたくありません。若いころというのは、特に男はそうなんでしょうが、生命維持のほかに体を成長させていくエネルギーがいるために常にダルイです。慢性の寝不足状態が続いている感じです。いいこともあまりありません。どちらかというと辛いことばかりの毎日です。反動で爆発することもあるのですが、その責任をとれるほど力も余裕もありません。もどるのいやです。すみません。

・現役の若いYAな人達へ、熱いメッセージをどうぞ

 熱いメッセージしか言えないみたいなので、しゃあない、言います。ほんとはゆるいメッセージとか冷たいメッセージのほうが性に合っているのですが。

 若い者をほめたり若い者の側に立ったり若い者の心を理解したりして、若い者を弁護したり寄り添ったり支援したりする大人を信じるな、頼るな。一刻も早く一人前の大人になれ。でないといつまでも本物の地獄が続くぞ。

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寮美千子さん☆彡

・どんな中学〜高校時代を過ごしていましたか?

通っていた千葉高校は外房線の本千葉下車。
下車しないで、そのまま外房へ行って無人駅で降りて海を眺め、 館山まで行って内房線に乗り、房総一周して戻ってくるような高校生。
職員室の藁半紙をごっそり盗んで「エゼキエル」という個人誌をガリ版で刷り、 それを先生に一冊50円で売りつけたこともあったなあ。
あの頃は、体に合わない貝殻に 無理に住んでいるヤドカリのような気分でした。

・作家・翻訳家になりたいと思ったのは、いつ頃、どうしてですか?

小学校高学年から、一人でこっそり詩を書くような子。
中学の時には、みんなで詩のノートを回覧して合評。
高校1年の時に読んだ宮澤賢治作品に脳髄を直撃される。
詩集「春と修羅」の序章に強い衝撃を受けた。
大学受験に失敗し、親の意向で外務省に就職したものの、 仕事が性に合わず、1年で退職。
「言葉」に興味があり、どんな職業でもいい、 原稿用紙に文字を書いて暮らせればしあわせと思い、広告制作会社に就職。
正社員に起用され、ばりばり仕事をしたものの、広告コピーを書くのに嫌気が差し、 20代半ば過ぎから、自分の作品を書きたいと思うようになる。
最初に書いたのは、童話だった。当時の詳しい状況は、以下に。 http://ryomichico.net/bbs/review0009.html#review20051129140418

・最初の本(作品)を出版したきっかけはなんですか?

フリーランスのコピーライターの傍ら、童話を書いて応募し、 31歳で毎日童話新人賞を受賞。
当時通っていたイーハトーヴォ童話学院の小沢正先生が推薦してくださり、 はじめての絵本「あっこちゃん だっこ」を出版。

・一週間だけ中学〜高校時代の自分と入れ替われたら、何をしますか?

入れ替わりたくない。いまがいい。

・現役のYAな人達へ、熱いメセージをどうぞ。

無理に適応しなくていいよ。
自分らしくあることが、きっと扉を開いてくれる。

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令丈ヒロ子さん☆彡

・どんな中学〜高校時代を過ごしていましたか?

中学は小学生時代の延長で、マンガや小説をずっと授業中書いていました。 休み時間にそれを友だちに読んでもらって評判のいいものをシリーズ化していました。家に帰ったら投稿する原稿を書き、賞金をもらうことがあったらそれでマンガと本と原稿用紙を買う。その繰り返しで、毎日勝手に自分で決めた締め切りに追われていました。今よりも売れっ子っぽいスケジュールでしたね。 高校からスランプになり、休筆。絵を習ったり、クラブ活動にいそしんだり、男女交際にはしったり、いろいろ試みましたが、うさははれませんでした。ずっといらいらして、感じの悪いいやな人でした。

・作家・翻訳家になりたいと思ったのは、いつ頃、どうしてですか?

ものごころついたときから、気がついたら作家になりたいと思っていました。スランプで一回あきらめたんですが、やはり作家になりたい心を認め受け入れたのは高校のとき。具体的にプロ作家になるための活動をしたのは20歳からです。短大卒業後、就職活動として始めたのでこの年齢からです。

・最初の本(作品)を出版したきっかけはなんですか?

せっかく美大で絵本を勉強したことだし、と、まず絵本作家を目指しました。上京していろんなところに絵をもちこみもしましたがうまくいかず、お金は底をつき、熱も出て、なかばやけになって講談社児童文学新人賞に応募しました。これは講談社絵本新人賞の募集要項を取り寄せたら、たまたま児童文学のほうの要項もいっしょに送られてきたのです。絵本はともかく、童話など、一冊も読んだことが無い状態で書いたものを応募したら最終選考に残って、そこから担当さんが、鍛えてくださいました。絵本新人賞の方も応募したのですが全くだめでした。

・一週間だけ中学〜高校時代の自分と入れ替われたら、何をしますか?

@ その時代にちょっとだけつきあっていた男の子に、あやまりに行く。
A その当時に書いていて、もう捨ててしまった原稿を読み直し、大笑いする。
B 今のペンネームと謎のメッセージをノートに書き残し、もとにもどったあとの高校生の自分をびびらせるしかけをする。

・現役のYAな人達へ、熱いメッセージをどうぞ。

いま、毎日楽しい生活を送っている人へ
「できるだけ貪欲に楽しみ続けてください。こんなに楽しくていいのかな?こんな楽しいことはいつまでも続かないんじゃないかな……などと不安になる必要はありません。どんどん楽しいことをしてください。全部あなたの将来の宝物になります。」
いま、いやなことばっかりでなんの希望も持てない人へ
「できるだけ貪欲に悩み続けてください。こんなに悩んでばかりっておかしいんじゃない?自分だけずーっとこんなつらいことばかり続くんじゃないかな……などと不安になる必要はありません。思い切り好きなだけ悩んでいられるのはYAの時間だけです。生きてさえいれば、悩んだことが全部あなたの将来の『使える』財産になります。ほんとですよ。」
そのどっちでもない人へ
「それでOKです。」 


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