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「日本YA作家クラブ」会報【特別便・御挨拶編】 2009年2月25日発行

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こちらは、特別便です。

「日本YA作家クラブ」発足によせて、代表世話人(五十音順)の、

皆様へのご挨拶に代えさせていただきます。

YAや会に対する思い、発足の経緯、発足後の感想、今後期待することなど、

それぞれの思いを短いメッセージにまとめました。

ご一読いただけましたら、幸いです。

 

 

━━□ INDEX □━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

◆石崎洋司   あえて「YA」というジャンルを作る

 

◆金原瑞人  発足によせて

 

◆梨屋アリエ   動機ときっかけと経緯

 

◆令丈ヒロ子    「YA」と「世話人」のこと

 

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◆石崎洋司      あえて「YA」というジャンルを作る

 

 ぼくは、児童書という「ジャンル」に、現状はかなり満足している。

 いちばんの理由は、児童書の読者は作者を問題にしないということ

(だから、どんなに売れても新聞広告とかに顔写真を晒されないです

む!!)。だけど、同時に、限られた年齢層に向けて書くという「縛

り」も好き。不自由なことはいろいろあるけど、それが「自分」をひき

だしてくれている。少なくとも自分ではそう思っている。

 だから、最近、いわゆる「一般文芸書」というのに出ていく同業者の

気持ちが、正直わからない。「一般文芸書」では読者を選ばないから

「セックスも暴力も、言葉も表現もなんでも書いていい」らしいのだけ

ど、「それ、つまらなくない?」って思ってしまう。

 もっとわからないのが、「これは児童書という範疇をこえている」と

いう「賛辞」。枠を超えていると「文学的」みたいないい方が、なんか

笑えてしまう。

 大人読者もアプローチしやすいYAでは、こういう現象はより発

生しやすい。だからこそ「YAは、大人も読みたければ読んでもい

いけど、これはティーンズ読者に向けて書かれたものなんだからな」と

いう「枠」は、しっかり作りたいし、書き手としてその一線は頑なに守

りたい……。

 なんてことを考えていたら、You Tubeで面白いものを見つけ

た。2007年、スコットランドはエディンバラで開かれたブック

フェアでの、Ian Rankinのトークイベント映像。

 彼の「リーバス警部」シリーズがぼくは大好きで、スタイリッシュな

文体のファンでもあるのだけど、実はそのシリーズが終わってしまう。

このトークイベントは、それにひっかけてのものだったようで、興味

津々で見ていたら、こんな質問が飛び出した。

「シリーズが終わるというこの機会に、あなたはクライムフィクション

という枠から出ることは考えていないのですか」(※訳は適当です・笑)

 この質問には理由がある。以前、彼のある作品に対するレビュー

"almost transcends the genre"(この作品はジャンルを超越

している)というのがあったのだ。一般的にはこれは最大級の賛辞にな

んだろうし、だからこそ、宣伝文句として本の裏表紙にも載せられたり

もするんだろう(ぼくの持っているその作品のペーパーバック版にも

載っている)。

 で、ただのクライムフィクション・ライターじゃないと持ち上げられ

た本人の答。

「それはわからないね。批評家やレビューアーが『ジャンルを超越して

いる』とかいってるけど、ジャンルを超越したら、それはもうクライム

フィクションじゃないでしょ。」

 ごもっとも。で、「それは大事なことなんですか?」と問われる

と……。

「いま自分に言えることは、クライムフィクション(というジャンル)

は、もっと真剣に考えられるべきってことかな。」

 ああ、やっぱりね、と思った。犯罪、犯人、警官、私立探偵が出てこ

なくちゃいけないクライムフィクションだからこそできることがある。

それが大事。ジャンルを超越するとか、まして、ジャンルが消えるなん

て、つまらないよってこと。

 ランキンは、「もしルース・レンデルがクライムフィクション作家と

いう括りの中にいなければ、去年(2006年)ある文学賞を獲って

いただろうと聞いた」みたいなことも言っていて、文学賞のばかばかし

さはいずこも同じなんだなと笑ったけど、でも欲しい人がいるのもいず

こも同じ。だから、それは否定しない。

 ただ、ぼくにとっては、ジャンルの縛りに苦しむ中から何が出てくる

かを見てる方がずっと楽しい。その楽しみがあれば充分、というのはウ

ソで、もちろん、そのうえで、できるだけ売れて欲しい。そうすれば、

ターゲットの読者たちから「面白かった」のお言葉がたくさんもらえる

し、それだけの「芸」を見せた対価としてのお金もいただけるから。

 でも、本の売れ行きってことを考えても、実は「ジャンル」を狭めた

方がいいと思うのだけど、その理由は長くなるからここには書かない。

クラブの発足イベントのときにでも機会があれば語ろうと思うので、皆

さん(お金を払って)来てね。

 とりあえず今回のところは、いま、YAという「ジャンル」をあ

えて新しく作ることは、児童書作家にも、一般書作家にも、新しい「苦

痛」と「工夫」と「興奮」をもたらすだろうという、「優等生的発言」

で、終わらせておく。

 

 

 

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◆金原瑞人  発足によせて

 

 赤木かん子とふたりで朝日新聞の「ヤングアダルト招待席」

という書評欄で若者むけの本を紹介し始めたのが1988年。当時

は「ヤングアダルト」という言葉に対するアレルギーはとても

強くて、英語圏で「ヤングアダルト」として出版されている作

品でも、日本で出版するときには、その名称を絶対に使おうと

しなかった。だから、朝日の書評がスタートしたとき、「ヤン

グアダルト出版会」の中心的存在だった、晶文社の社長の中村

さんがとても喜んでくださった。そのとき「金原くん、書評で

紹介するとき、『作品はよいが翻訳が悪い』というふうなこと

だけは書かないでほしい。『翻訳が悪い』と書くくらいなら、

取りあげないほうがいい」といわれた。なつかしい思い出だ。

 赤木と金原のコンビで始まったこの書評は91年まで続いた。

しかし、「ヤングアダルト」という言葉は結局、根付かなかっ

た。1970年代後半、アメリカの図書館を出発点として、イギリ

ス、オーストラリアへ広がっていったヤングアダルトも、残念

ながら極東の日本までは伝わってこなかった。

 翻訳物にかぎらず、その頃は、日本の作家の作品でも中高生

を主人公にした作品はあまり歓迎されなかった。たとえば、森

絵都もエッセイでこんなことを書いている。

「今でこそヤングアダルトというジャンルが確立し、10代の若

い読者を対象にした洒落た装幀の本が多数出版されているもの

の、14年前はまだその受け皿が整っておらず(中略)中学生も

のは出しづらいから小学生を書かないか、と何人の編集者に言

われたことだろう」

 そんな状況がこの10年ほどで驚くほど変わった。どこの出版

社にいっても、「おもしろいYA物はない?」ときかれる時代

になったのだ。長生きはするものだと思う。

 こうしてやっと、日本の出版物も、大人の本、子どもの本、

という二層構造から、大人の本、若者の本、子どもの本という

三層構造になった。

 しかしふとあたりを見まわすと、大人の本の作家の集まりら

しきものがあって、子どもの本の作家の集まりらしきものもあ

るのに、なぜかヤングアダルト作家の集まりらしきものはない。

なくてもいいんじゃないかという声もあるとは思うが、あった

ほうが楽しい。そう思って、この会の一員に加えていただいた。

 最後にひとつつけ加えさせてもらうと、この会に翻訳家も入

れるようになっているのがうれしい。いままでそんな会はなか

った。これを機に、「ヤングアダルト」というジャンルの認知

度があがり、作家と翻訳家の交流が深まっていけば、なにより

だと思う。

 

 

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◆梨屋アリエ    動機ときっかけと経緯

 

 こんにちは。連絡係をさせていただいてます、ありりんこと、

梨屋アリエです。私は、中学生を主人公にしたYAを書くこと

が多いのですが、読書好きと称する大人のかたからは「この長

さが書けるなら、大人の小説を書けばいいのに」とか「中学生

向けの児童文学なんて必要ない。大人の本を読めばいいでしょ

う?」という反応をいただくことがあります。

 自分が十代だったとき、大人の小説を心から面白いとは思わ

なかったし、たまに楽しい読み物に出会っても、主人公は自分

と同じような目線で世界を見てる人物ではなく、その行動や考

え方には共感できないことがありました。当時の私が日々感じ

ている疑問や不安や心の痛みは、そのようなお話の中では、取

るに足りない若さの問題か解決済の出来事だったのです。

 作家が小説を書く動機は、人それぞれだと思います。理由な

んてなくたっていいのです。でも私の場合は、自分の子ども時

代の体験に影響を受けています。今思うと、不安定だったあの

頃の私は、あふれる苛立ちを、子どもじみているという否定で

もなく、よく考えてるわねという上からの肯定でもなく、ただ

「へえ、そう思ってたのね」と誰かに、単純に受けとめて欲し

かったのです。まっとうな大人に変身することを前提にした成

長小説や、子ども時代を賛美し懐かしんでいる青春小説では、

あの頃の私の孤独には寄り添えなかったのです。だから、私は、

今の十代にむけて「ふうん、そう」の代わりになるお話が書き

たい。それが私がYAや児童文学を書く動機です。

 以上のような思いでYAを書いておりますと、児童書扱いで

出版されたYAが、子どもの本の枠の一部として扱われている

だけでいいのか、という疑問がわいてくるのです。私の本は、

ちゃんとYAが必要な読者に届いているのだろうか、と不安は

付きまとう。この十年くらいで、YAという言葉はかなり広ま

ったと感じますが、それは愛好家や業界内部の認識かもしれな

い。売れ筋のYAは特別な場所に置かれるものの、レーベルを

超えた広義のYA売り場が書店に常設されているわけではない

のです。10代の読者の立場で本を探すとき、良好な状態と言

えるのでしょうか。そもそも、今、YAに注目している人って

どこの誰? 初対面の人に自分の本を説明しようとすると、引

き合いに出す(児童文学界的には超有名な)人気作家や書名を

まったく知らない人がたくさんいる。ごく最近では、先月、あ

る教育委員会の人から「YAは『や』って読むんですか」と真

顔で訊かれ、激しい温度差を実感したばかり。

 しかしそんな世間の不理解や無関心をうらむばかりでは、何

も好転しないのです。まだYAに出会えていない十代の読者に、

作り手として、何かできることはないのでしょうか。単行本デ

ビューした頃から、児童文学やSFや推理作家の会みたいに、

YAの会があればいいのにと思ってて、誰か作ってくれないか

なあ〜と待っていたのですが、何年経ってもできる気配がない。

 こうなったら、作っちゃうしかないか、と思い始めたきっか

けは、昨年の夏の終わりに、あるところからYAについての講

演の問い合わせがきたことです。なんで私のところに? とい

う戸惑いとともに、世間の一部の人が、私のことをYA作家だ

と認めてくれているのだ、と驚きをもって、自覚したのです。

世の中の人が、実はYAについて情報を欲していて、どこに求

めたらよいのか窓口がわからずに困っているのではないか、と。

 そこで、2008年の10月、K社のYA短編賞の審査員としてご

縁のある石崎洋司さんに相談してみました。すぐにおもしろそ

うと話に乗っていただきまして、児童文庫やP社のYAのアン

ソロジーで石崎さんと懇意の令丈ヒロ子さんにもお声を掛けて

いただき、イメージがまとまっていきました。そして、翻訳家

の金原瑞人さんにも世話人をご快諾いただき、11月からは4名

でメールをやりとりし、会を立ち上げる準備をはじめました。

夢は大きく膨らみましたが、文筆活動の合間にできる内容と規

模で、会員に負担のかかりにくい会であることを目指しました。

その分、できることは限られてしまいますが、まずはYAの会

を作ることを目的に、仲良しクラブではなくYA作品が主役と

するために、現実的なところから進めてまいりました。11月末

にはホームページを試運転で公開し、世話人と親交がある方か

らお声をかけさせていただきました。そして、2009年1月

26日、みなさまのご協力により、「日本YA作家クラブ」が

正式にスタートしたということです。

 

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◆令丈ヒロ子    「YA」と「世話人」のこと

 

 

 「……こういう会を作りたいと思っています」と、梨屋さんの熱い思

いを初めて聞いた時、私はびっくりいたしました。

 それまで、YAについて、私が持っていた漠然としたイメージは「か

っこいいおしゃれな装丁で、文学っぽい空気の思春期の子のための小

説」でした。だから、小学生向けエンターティンメント作品を主に書い

ている自分が、思春期の人向けに作品を書くときは、「そのYA」のつ

もりはなかったのです。

 また、YAというジャンルについて深く考えたことも、強い興味も

ありませんでした。(今日の原稿と、明日の締め切りのことで精一杯。)

 だからYAというものについて真剣に考え、愛情をもち、世の中に

少しでもその情報を伝えていきたいという梨屋さんのお考えを聞いた

時、私はあまりに表面的な自分の物の見方と、自分がお仕事をいただい

ている分野に対して、考えも意(こころ)もなかったことが恥ずかしくなりまし

た。

 また、知らず知らずに自分が書いていた作品も、思春期の人「若い

大人」の読者に対して、そのときそのとき、精一杯誠実に書いたもので

あるならば「YA」という範疇として考えられるな……、と思いました。

 それで、梨屋さんのお考えを聞くその一分前には、ぜったいにあり

えなかったこと……、「日本YA作家クラブの世話人になる」というこ

とを決めたのです。

 四人の代表世話人の中で、私が一番YAの歴史や、作品について、

詳しくないし、知識も経験も浅いです。

 YAについて考えた時間も短く、今も「YAってなに?」という気

持ちでいっぱいです。

 しかし、そういう人間の視点も、この会が育っていくのに、役にた

つこともあるかもしれない。

 また、ついこの間の私のように「YAって、かっこいい装丁で、文

学っぽい感じのアレ?」という印象の方も、書き手や書き手志望、出版

社や書店、図書館、教育関係の方など、いわゆる「このギョーカイ」の

中にもたくさんいらっしゃるかもしれません。

 そういう方たちがYAってなにかと思われた時の、この会の活動が

手がかりになるかもしれない。

 そのように思いまして、「日本YA作家クラブ」の世話人とならせて

いただきました。

 この会は、まだまだ基盤が固まっていません。あまり美しい展望も見

えておりません。

 これから、どういうことができるか、どんな可能性があるかは、運

営しながら、皆様のご意見をいただきながら、考え、最善を尽くしてい

きたいと思っています。

 どうぞ、よろしくおねがいいたします。

 

 

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「日本YA作家クラブ」会報 2009年2月25日発行

代表世話人。石崎洋司、金原瑞人、梨屋アリエ、令丈ヒロ子(敬称略五十音順)

 

日本YA作家クラブ

http://jya.iinaa.net/

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連絡係 ありりん