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「日本YA作家クラブ」会報【臨時便・新年会のお誘い編】2013年12月4日発行
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「日本YA作家クラブ」会員の皆様へ

 お変わりなくお過ごしでしょうか。
 【臨時便】をお送りします。


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◆新年会のお誘い

◆エッセイ『ベッドサイドの時間──「臨床児童文学」の試み』 木村航さん 

 
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◆新年会のお誘い。 

 来年1月、日本YA作家クラブは6年目に入ります。
本来ならば5周年のイベントを企画したかったのですが、準備不足で
動くことができませんでした。このままなにもしないのも寂しすぎますので、
このたび、ささやかな新年会の席を設けることにしました。
 また、参加者の見込みがつきましたら、具体的な場所などを
決めたいと思います。今回は、とりあえず、先に日程をお知らせいたします。

日時 2014年1月10日(金) 夜 六時半か七時くらい開始の予定
会費 5〜8千円予定。
会場 東京都内。人数が確定してからお店を探します。

 発起人 金原瑞人、梨屋アリエ。 


 参加希望の方は、このメールに返信してお知らせください!
 未定だけれど参加の意思がある方もご連絡ください。
返信のあった方にだけ詳細をご連絡いたします。
 参加表明は1月5日までにお願いいたします。
japan.yung.adult.club@gmail.com(この会報のメールのアドレスです)
またはFAX03-6805-7707(梨屋)まで。


説明。
 日本YA作家クラブは、会員同士の交流を活動の目的に
しておりませんし、WEBでの活動を主軸にしているため、
リアルでの総会は予定しておりません。しかしながら、
今回は新年会という形で、顔合わせの場を作らせていただきます。
 ご都合がつきましたら、どうそご参加ください。
 今回も都内での開催になり、全国各地の会員さんの近くまで行くことが
できなくてたいへん申し訳ありません。いつかお会いできますように。



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┃リ┣┫レ┣┫ー┣┫エ┣┫ッ┣┫セ┣┫イ┃

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第9回★木村航さん 

ベッドサイドの時間──「臨床児童文学」の試み 
                       木村航           

 前回のリレーエッセイで梨屋アリエさんから提案があった「臨床児童文学」
というキーワードについて考えてみたい。
 臨床児童文学。それはいったいなんだろう?
 エッセイの文中で梨屋さんは「本を読む人たちが、その経験や好きな気持ち
を生かして活動できる場がもっとできるといい」と書いておられる。してみる
と臨床児童文学とは、持病や事情を持ち、健康な子とは異なる体験をしている
子どもの立場からの発言なり活動をイメージした概念であり提案なのだろう。
 私自身、持病で幼い頃からベッド生活が長かったし、その経験は実作の中に
おのずから表れていると思う。が、そうした個人的な経験のことは後回しにして、
まず前回のリレーエッセイ中でも名前が挙がった「臨床哲学」という方法論に触れておきたい。

 臨床哲学は、臨床心理学を出発点とする試みのひとつ。その概念はこちら
のリンク先にまとめられている。
○臨床哲学 http://www.arsvi.com/d/cp2.htm[arsvi.com:立命館大学
グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点]より
 すとんと腑に落ちるものではない。というか、うまく言えないことを巡る絶え
間ない思索それ自体を無理やり名づけてみましたとでもいうような印象さえある。
その曖昧さゆえに多様な解釈を許す部分もあって、しかしそれが幸いしたのか、
さまざまな分野でケアに関わる人々が我がこととして応用し考えを深めた。
それらの知見と体験を取り込んで臨床現象学という概念も生まれた。これまで
「臨床××」といえば治療を行う側からみた技術としてのタームだったのに対して、
この新たな概念では、臨床現場で起きているすべてのできごとを等価な
ものとして重んじ、受け止め、考える。したがって語られる内容は多岐に渡り、
バラエティと彩りに富む。
 たとえば「当事者研究」という試みがある。困難を抱える患者が、自らが直面
する痛みや生きづらさを客観的にみた現象として捉え、それらの困難をどう克服
するかの取り組みを実験と位置づけて、研究論文のかたちにまとめる。実験だから
失敗もあり得るし、それもまたひとつの大事な結果だ。次に繋がるスタート
地点ともなる。このやり方は明るくていい。しくじったってしょんぼりしなくて
いいんだから。
 あるいはまた脳機能の障害で意識のない患者と、かれをケアする担当看護師との
間に、どのようなできごとが起こるかを調べた例。さらには重度障害児のリハビリ
を行う理学療法士が、子どもとの体験を踏まえて、その子にとっての「自分」とは
何かを考察した試み。いずれも自発的な意思表示のない相手との濃密なふれあいの
中から読み解かれ、つかみ取られた実感から紡がれた言葉だ。重厚なリアリティを
具えると同時に、豊かな想像力の広がりを併せ持つ。そこには新たな物語が芽吹いて
いる。当然だ。人と人とが出会うところにこそ物語は生まれるのだ。ましてやめったに
出会えない相手となら、ありふれた物語になるわけがない。
 むろんこれらの試みは、すべての当事者が「どうすればもっと居心地よく生きら
れるか」を考える過程で取り組んでいるものなのであって、明確な目的意識がある。
おもしろがってる場合じゃないのだ。だがあいにくどれもこれもどうしようもなく
否応なしにおもしろい。そうならざるを得ないのだ。そのことに気づいた版元も多く、
手軽な文庫や新書サイズで手に入る実践例もずいぶんと増えてきた。機会があれば
触れてみて欲しい。世界の広さと分厚さを実感できるだろう。

 さて、ひるがえって臨床児童文学の話である。
 ベッドの上には物語が生まれる。ましてや子どもならなおさらだ。とはいえ、
そこにはそれぞれの事情と病状とがあり、語られぬまま忘れ去られていく物語も
多いはずだ。
 ここでは試みに私自身の体験を語ってみたい。
 私の子ども時代は1970年代で、疾患や障害を持つ児童生徒の肩身は狭かった。
インクルージョン教育どころか通学免除が当たり前だった。障害児の教育は義務では
なかったのだ。私より上の世代の知人には文字が読めない人もいる。それでもその人の
語彙が乏しくならなかったのは放送メディアの恩恵だろう。一家に一台のテレビは
便利な子守役であり、社会への扉でもあった。もっともそれは恵まれた家庭に生まれて
いればの話だし、治療が長引くとなればまた話は変わってくる。
 私が持病の告知を受けたのは1歳の誕生日を迎えて間もない頃だったそうだ。以来、
幾度となく入退院を繰り返した。さいわい言葉が早く、人見知りもしなかったので、
病室でも楽しくやっていたらしい。しかしヒマだけはいかんともしがたい。必然的に
本を読むことになった。両親も惜しみなく買い与えてくれた。もっとも親が読ませた
がる名作童話のたぐいはちっとも好まず、もっぱらマンガと怪獣だった。折しも怪獣
ブームで、出版物も次から次へと出ていた頃である。勤め帰りの父が病院へ駆けつけが
てら、売店のスタンドで買ってくる新刊の雑誌には、必ず怪獣の記事が載っていた。
父は吟味して選ぶわけでもなく手当たり次第に買ってくるのでおとな向けの雑誌も
混じっていた。『世界怪物怪獣大全集』(大伴昌司・編/キネマ旬報社)は薄暗い
病室で読んだ覚えがある。おそらくは出てすぐのことだろう。復刻版の奥付を見ると
3歳にも満たない頃だ。むろん漢字なんかろくに読めなかったが、写真を眺めている
だけで満足だった。
 学齢に達してからも通学なんか考えられない状態だったが、地元の小学校でも
気にかけてくれて、ありがたいことに訪問教師の先生を派遣してくださった。
週に一度か二度だったと思う。九九がなかなかおぼえられなくて、延々とやっていた。
 それに先立つ入学時、校長先生と学級担任の先生の来訪を受けたことがあった。
教科書を届けてくださったのだが、同時にオープンリールのテープレコーダーを持ち
込まれたのには驚いた。声のおたよりを録音し、クラスメイトに聞かせたいという。
何をしゃべったかは記憶にないが、教科書を朗読させられたのはおぼえている。
「ねずみのよめいり」だった。途中で読み間違えて、適当にセリフを足してつじつま
を合わせたが、思えば小賢しいことをしたものだ。その後、クラスメイトからは
色とりどりのお手紙が届いたが、返事は出さなかった。何を書いたらいいのか
よくわからなかった。「おともだち」というものに実感が湧かなかった。心配した
両親は何度か近所の子どもに声をかけ、遊びに来てもらったりもしたのだけれど、
なかなか続かなかった。おとなの前で利発そうなふるまいをするのは得意でも、子ども
同士となるとからきしだめだった。
 全寮制の養護学校へ入学したのは小3の三学期から。申請は早くに出していたのだが、
ベッドに空きがなく、そんな中途半端な時期になってしまった。
 ここには図書室があった。ずいぶん入り浸ったものだ。
 しかしまじめな本よりも、まず真っ先にマンガだった。しかも回し読みだ。なにしろ
子どもの絶対数が多かった頃である。月に2回の面会日に来られる家族はたいてい
手土産にマンガ雑誌やコミックスを買ってきた。食べ物の持ち込みは厳禁だったし、
オモチャは高い。マンガ雑誌は値段的にも手頃だし喜ばれるのだ。おかげで主な銘柄の
マンガ雑誌は週刊月刊少年少女幼年向けからオトナ向けまでひととおりそろうのが
常だった。あとはみんなで替わりばんこに読みふける。勉強なんかやってるヒマはない。
いちおう日課には自習時間が入っていて、この間は「静かに勉強」「マンガ禁止」と
されていたが、せいぜい学研の科学や学習を開いてみる程度だった。私は、だ。みな
不真面目だったわけではない。入園児の病状や境遇にはずいぶんばらつきがあったし、
年齢層もさまざま。当然、進路にも学習態度の切実さにも違いは出てくる。普通高校への
進学を考えている者にとっては、やかましいガキどもの極楽トンボぶりはさぞ
目障りだったことだろう。
 病棟は常に満床だった。現在なら普通校で学ぶことになんの支障もない子でも、当時は
親元を離れて寮暮らしをする他に選択肢がなかった。また普通校に在籍中の子でも、
短期間だけ入園して手術とリハビリを受け、元の学校へ戻っていくケースが多かった。
地元の病院では対応できなかったのだろうし、積極的に受け入れてもいたのだろう。
子ども時代の時間は貴重だ。社会復帰のタイミングは進路を決めることにもなりかね
ない。おかげで転校生の出入りは日常茶飯事だった。たいていの物語では大事件として
扱われるけれど、別に珍しくなかったしなあ……ぐらいの温度で受け止めてしまう。
 病状によってはベッドを離れられない子も多い。私もそうだった。そういう子の
ためにはベッドサイド学級が編成される。訪問教師の先生とおんなじように、先生が
ベッドまで出向いてくださるのだ。クラスメイトは少なく、手術のケースや術後の
リハビリ経過によって顔ぶれは頻繁に入れ替わる。
 私にとってさいわいだったのは、入学して最初の2年ほどの間、ベッドを並べて
共に学ぶ仲間がいたことだ。
 カドくんと呼ばれていた。暴れん坊だった。幼い頃の事故で一命を取り留めた
ものの脊髄損傷となったという。両脚に重りをつけ、牽引ケアを受けていた。確か股関節の
拘縮か脱臼かの整復目的で受けているケアだったと思う。父親は渡りの板前で、山形か
どこかのホテルに家族で住み込んでいた頃、幼いカドくんは貨物用エレベータに忍び
込んで遊んでいて事故に遭ったのだそうだ。陽気なガキ大将タイプで、慕ってくる友だちが
たくさんいた。だが、ふとした折りに見せる表情に陰があった。負けん気の強い性格
だっただけに、どこか投げやりになることで自分を守るようなところもあった。
 最初の友だち、と呼べる存在があるとしたら、それは間違いなくカドくんだろう。
 いろいろあった。楽しいことばかりではない。理不尽なこともあった。殴られもした。
しかしそれらのどれにもこれにも無理もない理由があった。あまりにも幼く世間知らず
だった私は、カドくんに揉まれて初めていろんなことを教わったのだ。しかし今は
それらのすべてを書き記す余裕も準備も覚悟もない。
 遊ぶときもお互いベッドの上だった。
「遊ぶべ」
「いいよー。どのシリーズにする?」
「んだなぁ……」
 基本的にはごっこ遊びだ。カドくんと私、それぞれがひとり主人公を設定して持ち
キャラとし、アドリブの掛け合いで物語を作っていく。いくつものシリーズが並行して
走っていた。手持ちのおもちゃを主人公役として用いる場合もあれば、紙を切り抜いて
こしらえた人形を使うもの、さらにはそうした形代を使わず会話だけで展開する
シリーズもあった。SFヒーローものもあれば赤塚不二夫的なシュールギャグの応酬が
飛び交うものもあり、テイストはさまざまだった。かわいそうなヒロインが徹底的に
いじめられる涙ナミダのシリーズもあったが、ヒロインは古谷三敏『ダメおやじ』
(曙出版/小学館/双葉社など)初期のテイストで設定されていたから展開するのは
むろんギャグである。のちのテーブルトークRPGのような緻密なデータと乱数による
判定を伴うものではもちろんなかったけれど、あの経験は現在の私を形作る基礎に
なったと思う。
 思えば不思議な巡り合わせだ。カドくんは本来なら一級上の年齢である。大けがの
ために就学が1年遅れたせいで私と同級生になったのだ。たまたまベッド生活を送って
いる時期に私が入園し、同室となったのも奇縁としか言いようがない。遊びのシリーズを
始めたのも、どちらからともなく自然の成り行きでそうなっていた。環境のせいも
あっただろう。ふたつ並んだベッドとベッドの間には空間があって差し向かいには
なれない。ひとつの盤を囲むゲームには走れなかったということだ。橋渡しをするには
言葉しかなかった。語りあうしかなかった。想像ならば同じ場所に立てたのだ。
 そういえば本は「読む」ばかりではなく「読んで聞かせてもらう」ものでもあった。
年少の子や、病状の関係でページを開けない子に、ひまをみて読み聞かせをしてくれる
大人が何人もいた。指導員の先生、学校の先生、看護婦さん(あの頃は看護師とは
いわなかった)。じょうずな人もへたくそもいた。昔話を語り聞かせてくれる人も
珍しくはなかった。それにしてもなんでみんなあんなにお化けの話が好きだったん
だろう。話すほうも聞くほうもお化けばなしとなると妙にいきいきとしてくるのが
不思議だった。
 時には年長の子が「おはなし」の朗読を引き受けてくれることがあった。いつでも
あるイベントではない。たまたまそのとき在籍中の顔ぶれの中にふさわしい人柄の人が
いて、引き受けてもらえたらの話だ。よくおぼえているのは古館さんという人で、
体格も性格もおおらかな女子だった。とてつもなくおとなびてみえたが、今にして
思えば中等部の2年か3年のはずである。南部藩の家老の家柄だというが、しつけは
厳しかったのだろうか。普段は松葉杖を使っているが、リハビリ中はそれを手放し、
義足で危なっかしく歩いていた。右脚を膝上から切断したのがいつ頃かはわからない。
成長につれ、断端の再手術が必要になる。その何度目かの手術のために来ていた。
普通校への進学を控え、消灯後の自習に忙しい時期だったはずだが、誰が言い出したのか
「おはなし」の朗読を聞かせてとせがまれるとこころよく引き受けてくれた。
 大部屋だった。2列に並んだベッドの一方は男子、他方は女子。中学生でも
男女相部屋である。年長者は部屋の端にいて、そこからおおむね学年順に1列5、6人が
並ぶベッドの反対端が私のベッド。その真向かいのベッドは術後の患者の指定席で、
すぐ脇には看護婦さんの詰め所があった。古館さんのベッドはそこではなかったと
思うが、朗読の時には詰め所の明かりを求めて丸椅子持参でやってきて、窓辺に
腰掛けるのが常だった。朗読はいつも夜9時の消灯後、放送委員の子によるレコードの
音楽放送の後、毎晩10分ほど。音楽の選曲は委員に任されており、教材のライブラリに
あるレコードから選ばれるのだが、妙に悲しい曲ばかり流れるのがいやだった。
寝る前に『鉄道員』のサントラなんか聴かされたくはない。むろん「ぽっぽや」ではなく
イタリア映画のほうである。あのサイレン。なんて不吉に響くんだろう。だが古館さん
さえいれば怖くはないし寂しくもなかった。朗読はたいてい長篇童話で、切りの
いいところで翌日へ続く。松谷みよ子『まえがみ太郎』(福音館書店/現在は偕成社、
講談社など)の怖いこわい牛鬼の場面にどきどきしながら聞き入っても、不思議と
穏やかな心地になって眠れたものだった。
 こんな経験があれば、そりゃあ自分でもやってみたくなる。やがて年長になってから、
頼まれもしないのに勝手に始めた。つきあわされた下級生たちはいい迷惑だったろう。
なにしろリクエスト無視。朗読ですらない。好きで読んでいた落語や怪談を、うろ
おぼえのくせに思いつくままアドリブ入れつつ語って聞かせるだけなのだ。つじつま
なんかあうわけもない。怪談のつもりで始めたのになぜかご隠居と熊さんが出てくる
ような始末だ。
 語り手は聞き手がいるからこそ存在できる。物語は求められるところに生まれる。
そんな簡単なことにさえ気づいていなかったあの頃の私だった。
 以上、思いつくままよしなしごとを綴ってきたが、臨床児童文学というキーワードに
ついて考える一助になったかどうか。見当外れのような気もして自信はないが、
ひとつの昔話として読んでいただければさいわいである。
 ここまでつきあってくださった皆さんの中にもさまざまな体験があり、語るべき
物語があると思う。ここには場があり、よい聞き手/読み手が集まっている。どうぞ次回
リレーエッセイで存分に語っていただきたい。楽しみに待っています。

 最後に、臨床児童文学の参考になるかもしれない本をいくつかご紹介しよう。

『困ってるひと』(大野更紗/ポプラ社 2011/ポプラ文庫 2012)──闘病記ネオ。
話題作だからご存じの方も多かろう。勢いのある語り口で難病との闘いを笑い転げる
エンターテインメントに仕上げた。
『わかりやすいはわかりにくい?』(鷲田清一/筑摩書房・ちくま新書 2010)──副題は
「臨床哲学講座」。元々はNHKラジオ講座のテキストとして世に出たものを加筆・修正し、
新書としてまとめ直したもの。フェティシズムの視点からファッションを論じてきた哲学者は、
自らの介護体験から人の尊厳について深く考えるに至る。その思索の軌跡を、わかり
やすい言葉で語った1冊。
『べてるの家の「非」援助論 そのままでいいと思えるための25章』(浦河べてるの家/
医学書院 2002)──統合失調症患者のコミュニティを経済的に自立させ、地域社会をも
活性化してしまった事例として名高い北海道・浦河べてるの家は、当事者研究の実践でも
先駆的な人たち。多くの関連書籍があるが、これはコミュニティの成立に至る過程を前史から
綴った1冊。デンパの語りはいかにして論文化され、物語にまで昇華されたか?
『驚きの介護民俗学』(六車由実/医学書院 2012)──民俗学の研究者が学問の場を離れ、
縁あって介護現場へ。そこで出会ったお年寄りたちの記憶の中にはかつて誰もテーマに
しなかった豊かな民俗社会の体験があった。よき聞き手を得て初めて語られる、知られ
ざるあまたの物語の記録。叢書「シリーズ ケアをひらく」には良書が多く、他にも
『リハビリの夜』(熊谷晋一郎 2009)や『弱いロボット』(岡田美智男 2012)などはおすすめ。
『愛とカルシウム』(木村航/双葉社 2008/双葉文庫 2011)──拙著からも1冊。
介護施設しおかぜ荘シリーズの第一作。全身が石化する奇病を患った少女がスズメの
雛を拾う。だが彼女は「きれいな死に方」を探し求めていて……。

 

※梨屋からコメントつけさせていただきます。
前回書いた臨床児童文学という言葉の臨床は、病床という意味では使っていませんでした。
単に、理論上の文学ではなく人に接する文学体験というつもりでした。
臨床哲学に関しても、大阪大学などで行われているような哲学カフェやP4C等を意識したものです。
誤解を与える書き方をしたことを反省しています。


( ^^) _旦~~ φ(..)  エッセイ募集中。

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「日本YA作家クラブ」会報 2013年12月4日発行
代表世話人。金原瑞人、梨屋アリエ、(敬称略五十音順)

日本YA作家クラブ
http://jya.iinaa.net/
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連絡係 ありりん